「生物としての人間」―日本人の反省4 | 眠たい国のタクシードライバー

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天声人語150214

「秩序」や「規律」「区別」とかが大嫌いですな。

大チョンイル帝国新聞部発表2/13


昨日の、その「品性」が「人後」に落ちる『天声人語』
渋谷区の同性婚証明書の件・・・。


>10年前の愛知万博で公式マスコットキャラクターだったモリゾーとキッコロをご記憶だろうか。
・・・ご記憶にない・・・よりハナから知らんしwww 興味ないしww


>最近、LGBTという言葉が定着しつつある・・(中略)・・日本では20人に1人がそうだという調査がある。
・・・お前ら、そのへんのスーパーで買いもんしてるおばちゃん等に訊いたか? 「あぁ、腸に良いヨーグルトやろ」とか答えるぞ、きっとww 20人に1人?どこの調査や、どこの?お前らの身内だけやろがっ!!


>日本国憲法は「両性」の合意のみに基づいて成立するとする。ただ、同性婚を排除まではしていないという解釈もありうる。
・・・とうとう勝手に新聞社風情が「解釈改憲」までするかww という事はやで、9条の「国の交戦権はこれを認めない」は自衛戦争を排除までしていない・・・とも解釈できそうやなww


まぁ内容は「東スポ」「大スポ」以下、何が書いてあるのか一読しただけでは分からないという点に於いては「報知」「デイリー」以下の新聞がチョンイル新聞です。


では、また前回の続き・・・(山本七平「日本はなぜ敗れるのか―敗因21カ条」)

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「人間習性」


 人間の社会では、平時は金と名誉と女の三つを中心に全てが動いている。それらを得る為に人を押しのけて我先にとかぶり付いていく。ただ、教養や色々の条件で体裁よくやるだけだ。それでも一家が破産したり主人公が死んだりすると、財産の分配等に忽ち本性を現し争いが起こる。
 戦争とは、ことに負け戦となり食物がなくなると食物を中心にこの闘争が露骨にあらわれて、他人は餓死しても自分だけは生き延びようとし、人を殺してまでも、そして終いには、死人の肉を、敵の肉、友軍の肉、次いで戦友を殺してまで食うようになる。


「ミンダナオ」


 ここは全比島の内で一番食物に困った所で友軍同士の撃ち合い、食い合いは常識的となっていた。行本君は友軍の手榴弾で足をやられ危うく食べられるところだったという。敵も友軍も皆自分の命を取りにくると思っていたという。友軍の方が身近にいるだけに危険も多く始末に困ったという。


「ルソン島の話」


 ここへ来てルソンの話を聞くと、初めは大分やったようだが、あとは逃げただけだった事が分かった。しかも山では食糧がないので友軍同士が殺し合い、敵より味方の方が危ない位で部下に殺された連隊長、体長などざらにあり、友軍の肉が盛んに食われたという。ここに到るまでに土民からの略奪、その他あらゆる犯罪が行われた事は土民の感情を見ても明らかだ。


「人を殺して平気でいられる場合」


 ストッケードで親しい交際をしていた人の内に最高学府を出た本当に文化人的な人がいた。この人はミンダナオ島で戦い、山では糧秣が全くなかったので友軍同士の殺し合いをやったという。ある日友人たちを殺しに来た友軍の兵の機先を制して至近距離で射殺した事があると話してくれた。そしてその行為に対しては少しの後悔も良心の呵責もなちいい切っていた。それはその友軍兵を自分が先にやらねば必ず自分が殺されているから、自己防衛上当然やむを得ない事だといった。


 もちろん小松氏は、全ての人間がこうであったとは言っていない。こうならなかった人間も「千人に一人いるかいないか」ぐらいの割合でいた、と記されており、これらの文はその人のことを記すための前文だと言える。


 確かにそういう人もいたのだ。私の知る範囲でも、自らを殺して部下を救った非常に立派な人はいた。だが、それは例外者であり、例外者は基準にはならない。


 またこのことは教育水準にも無関係である。小松氏が「人を殺して平気でいられる場合」の冒頭に「ストッケードで親しい交際をしていた人のうちに最高学府を出た本当に文化人的な人がいた…」と記している。おそらくその人は本当の「自然に帰った」状態を強いられることがなければ、生涯、自分にそんな一面があろうとは、夢にも思わなかった人であろう。それはいまの多くの人が、自らがそうなろうとは夢にも思わずに、平気で「自然に帰れ」などと言っていられるのと、同じ状態であったろう。


 一体、人がこうなった時、どんなときに「救い」を感ずるのであろうか。皮肉なことに、「人工」に接したとき、人口の産物があるらしいと知った時、人びとはほっとして「希望」を感ずるのである。人間は好むと好まざるとにかかわらず、そのようにつくられた生物であり、人工によって自然を自分に適合するように変え、それによって食物を生産することによってのみ生存が可能なのである。


 中国軍がまだ延安にいたころ、まず農地を整備して「食」を確保した。彼らは、それが基礎であることを知っていた。これは米比軍も同じで、米軍の再来まで頑張り続けた彼らは、まず山中のジャングル内に「隠田」ならぬ「隠畑」を、焼畑農耕の方法を使ってつくりあげ、それで「食」を確保してから、ゲリラ戦を展開した。これがない限り、日本軍が呼応した長期持久も遊撃戦も、実行不能なスローガンにすぎないのである。


 本当に、人間が生物であるという認識に立っていたら、これらの準備は日本軍にも出来たことであった。日本が単に「物量で敗れた」のでないことは、この一事でも明らかであろう。そして皮肉なことに小松氏たちは、かつての米比軍ゲリラの根拠地に入って、そこで「人工」に接してはじめて「希望」を見出し、これを「希望盆地」と名付けるのである。



 この例は、実は、比島戦に意外なほど多い。レイテでも、撤退に撤退をかさねて、第三十五軍司令官鈴木中将が、カンギボットという山に逃げ込む。そしてそこの洞窟に入ってみると、それが数日前までもゲリラの根拠地、彼らが、米軍の上陸・進撃に符牒を合わせて、つい数日前にそこを去ったらしい痕跡まで発見されるという例まである。

 小松氏は、そういったかつての敵の根拠地に辿り付いたときの状況を記しているから次に引用しよう。


「食糧あと一週間分となる」


 十九日、珍しい晴天だ。谷川を下る。石を飛び木の根につかまって苦心、谷川下りだ。途中台湾人慰安婦の一隊に会う。皆元気で重い荷物を平気で背負っている。この中に五才くらいの痩せた男の子が一人混じっていた。泣きながら皆の後について歩いていた。輝行(小松氏のご子息)の事等思い出した。我々の隊の老人連は雨に濡れた装具を持ち切れずに皆捨ててしまい裸身で歩いていた。この日は籾を食べる。行軍中は籾つきなどやる暇がないので籾を飯盒でいって食べるのは中々美味なるも、歯の金冠は破れるし、便秘はするし困ったものだ。ジャングルの中に入ると良い道があった。しばらく行くと大きな家がある。最近まで米軍がいた跡だ。無電装置がしてあり、アンテナが張られていた。この道は敵に通ずる危ない道ではあるが、近くに畑がある事が予想され気分ば明るくなった。米軍の永久抗戦の用意の良さに感心した。日本のそれは口だけであるのに反して。二時頃幕営す。この川にはドンコ(魚)がいる。釣り道具を出し久々に新鮮な魚を食べる。

(次回につづく)

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これがない限り、日本軍が呼応した長期持久も遊撃戦も、実行不能なスローガンにすぎないのである。

・・・日本軍でもこれが出来たところがありました。それがラバウル。ラバウルには米軍は来なかった。自給出来ていた事も大きな要因でしょう。「ラバウル小唄」の、あのユッタリとのんびりした曲調は、どこから来るのか?

今や、現在食料自給率40%を切る日本を負かそうと思えば簡単な訳です。