初めて24時間走という競技に挑戦したのは、

2017年11月に開催された神宮外苑24時間チャレンジでした。
優勝はできたけれど、終わり良ければ
とは言い難いドラマがありました18禁


24時間走、ずっと興味はあったけれど、まだ早い?まだ早い?とタイミングが見つけられずえー?

2016年に初めて100k世界選手権の日本代表を経験したことを機に、(世界選手権は2年に1度の開催)

挑戦するなら今だOK
(100kに集中しなくていい年)

24時間走も世界選手権(これも2年に1度)があり、神宮外苑24時間チャレンジは日本代表を決める選考大会。

2017年の世界選手権までは神宮外苑での一発選考でした。(100kでいうサロマ湖ウルトラマラソン)

次の世界選手権は2019年ということで、私が出ようと決めた2017年の大会は選考対象にはならないはずでした。

初めて挑戦するなら気楽に走りたい 緊張したくない 結果や順位にこだわりすぎたくない

ちょうどいいじゃん口笛とお気楽エントリー

ところが〜、、

直前になって、
代表選考はポイント制にガーン

2017年の大会結果も選考に関わることに滝汗

特に24時間の練習もしてこなかった私は焦りましたアセアセ


そしてさらに焦ったのが

直前に発熱えーん39度の高熱

もう終わったと思いましたね。

インフルエンザではなく、風邪だったのが不幸中の幸いぼけー

3日前に熱は下がって、とりあえず準備。
びっくり<準備するんだ?!

インフルエンザじゃないんだから、棄権する理由ないと、当時のあほあいこは考えたようですガーン

大会は土曜日の11時スタート
始発で向かえば十分間に合います。

会場に着いても頭がぼんやりしていたのを覚えてます

とてもこれから24時間走るとは思えない体調アセアセ

ハンドラー(サポート)を頼んだ旦那選手は仕事を終えてから来てくれる、それまでとりあえず頑張ってみようグー





走り出したら元気グッ元気グッ

ずっと寝込んでいたから走れることが嬉しくてラブ


でも24時間、そんな甘いはずもなくガーン

下矢印動画

全身の痛み 身体がとにかく動かない
ラスト5時間はもうほとんど記憶もないえーん

朝方になると、ラストスパートをかけはじめる選手が多い中、

牛歩牛いやそれ以下

時間走にはゴールゲートがありません。
自分がたどり着いたところがゴール

あの時はそれがとにかく辛くて、
どこまで頑張ればいいのかわからない。。
早く終われ、早く終わらせたい

何分か前に、札みたいなのを渡されて、終了時間がきたら止まってその札を地面に置いたはずだけど
それすら覚えがない長音記号1

どうやってテントまで戻っていったのかもわからないけれど、、

ちゃんと着替えもしたのはたしか。

表彰式にも出ていたよう。
顔色わるすぎチーン
この直後、立っていられなくなり

そのまま倒れて意識失いました病院救急車救急車救急車

救急車で運ばれて、緊急入院。

検査の結果、
横紋筋融解 急性腎不全



死亡する可能性もありました。

高熱を出した後で筋力は著しく低下していた
序盤の気温が高かったのに水分補給が足りなかった
初めてだったのでペースコントロールも下手だった
思い当たることは山のように。。

でも助かって良かった。


意識回復したら、お腹すきすぎて
絶食とは知らずに、その日の夜には勝手に食べていましたびっくり
看護師さんが慌てて食べたゴミを隠していましたガーン
ごめんなさいショボーン

3日ほど東京で入院して

わがまま言って名古屋に転院。

合計1週間くらいの入院生活でした

そしてその後1か月くらい車椅子生活あせる

自分が軽はずみな判断で走ってしまったことで
家族や周りの人達に本当に多大な迷惑と心配をかけてしまいました。

同時に自分のことを思って支えてもらえていることに
あらためて感謝の気持ちでいっぱいです。

こんな私をいまだに応援してもらえていることにも。


入院中、旦那選手と話し合ったのは

次回の24時間走でのサポート作戦会議ポーン

失敗したのはそこじゃない笑い泣き


以上が初めての壮絶な24時間走です

人生2度目の24時間走もかなりなものですが滝汗
それはまた今度。。


最後に、
この経験を含め、いろいろな経験をして思うことがあり綴ることにしました。

自信を持って練習を重ねてきたとしても、こういう事例もあるのだという注意喚起も含めてです。

私のようにならないためにも、しっかりと練習を積んで、準備をして、体調を整えてスタートに立ってくださいキラキラ