そして、そんな歴史を振り返ったら、今の不安は何だろうと考える
 

人の期待を裏切るのが嫌、がっかりされるのが嫌

何か物事が前に進まなかったり、ずれていたり、間違えたりしたときに、「xx(私)がいるからできるはずだったのに、なんで?」「あれ、できないの?」と思われることに、すごくストレスを感じる。冷静に考えると、私一人で解くには深すぎる課題だし、私の責任でない課題も多いし、それに必要なリソースも与えられていない。でもどうしても、「がっかりさせたくない」「期待に応えたい」「期待を超えたい(おどろかせたい)」というサーカスばりの踊りを開催する。

 

 

人に嫌われるのが嫌

「嫌われる勇気」という本が一時人気になったが、本当にこれができない。やはり優等生できたんだなと思う。嫌われることに対して、すごくストレスや負担を感じる。関係修復に気持ちが必死になってしまう。で、ドラマのような逆転を望んでしまう(最後は分かり合いました・・みたいな)本当は、「あ、私のこときらいなんだね。別にいいよ」くらいの気持ちが必要だし、大人になればなるほど、意見もできる。自分ができるからこそ、すべてのひとと仲良くすることはできない(トランプやオバマを見よ)。そうだ、嫌われるということは、ひとえに「自分がある」ことの裏返しなんだ。なぜ嫌われているのか、を理解することは大切だが、すべてを解く必要はない

 

「それは、君の人生がなんだかんだで今まで思い通りだったからだよ。その場になったら、(流れに身を任せても)なんとかなるもんだよ」と友人にこの前言われてすこしはっとなった。人は、人生のほぼすべてを過去と未来に縛られて生きているとも。もう少し、過去や未来からやってくる不安にふたをして、無責任と言われても現在を楽しめないか。私には、優しい夫も、いつも私の味方の両親も、十分なお金もある。明日仕事をやめても、絶対に路頭に迷わない。不安は、やっぱり上の2つから来ているんだなあ。。

 

でも私の人生に責任を持てない人をがっかりさせたり、そんな人に嫌われてもいいじゃないか。それよりもがっかりさせたり、嫌われたくない人が私にはいる。その人たちを、自分の人生をかけて大切にするのが、私にとってとてもとても大切なんじゃないのか。この人たちは、私が今を楽しく生きることをこんなにも喜んでくれる。じゃあ、今この瞬間を楽しむことから初めてみてもいいんじゃないだろうか。ほんの、少しずつでもいいから。