そこからは早かった。会社に診断書を出すと、その一週間後にプロジェクトを抜けることになった。その際上司が私にだけ「理由を教えてほしい」とメールを送ってきて「マネジャーの期待に応えられなかったことが残念でした」とそれに返した。そのメールがマネジャーに即転送されたことは、今考えると結構倫理的にありえないんだけど、当時は、もうそれに気持ちを費やす体力も残っていなかった。ふらふらとオフィスを出て、自分が情けなくて、なんだか自由になったことも信じられなくて、ただただまとまらない考えをしながら気がついたら六本木に向かって歩いていた。いつも自分の駆け込み寺だった本屋でぼーっと本を眺めていたのを覚えている。

 

会社からもらった休暇は1ヶ月。そこからは、何かを取り戻すように眠り続けた。眠っても、眠っても眠かった。字を読むのも辛くて、普段だったらすぐ読めるビジネス書に何日もかかった。1日を無駄にしたくない私は無理にでも外に出た。今考えるとそういうこと本当はすべきでなかったかと思うけど、毎日のスケジュールを作って、目標を立てた。種類もわからない薬をいっぱいだされて、いつも気分が悪かった。でも、早く帰らなきゃ帰らなきゃとこれも真面目に飲み続け、いつも吐き気がしていた。

 

事態が好転したのは、2つのきっかけがある。1つは、当時の彼氏に「辛い」と初めて語ったことだった。一度語り出すと止まらなくて、聞いているかどうかなんてもうどうでもよくなって、あれやこれやと一息で話して、話しながらぽろぽろ涙が溢れていた。今振り返ると相当異様な光景だったなと思うが、話しているうちに、ぱたぱたと頭が整理されているのを感じた。「あ」となったときには、「そうか、あのマネジャーは人として許せないし、自分の置かれた状況は理不尽だったんだ」と自分の中で帰結した。もちろん、ここでも自分の実力不足は理解しているんだけど、本当に初めて「自分以外の何か」にも、その原因を見ることができた。

 

もう一つは、実家に帰って会ったおじいちゃん医師だ。私は以前に比べ体調は良くなっていたが、吐き気は続いていたので一応経過観察したほうが良いと思って赴いた。彼の診療所はとってもぼろぼろのビルの一室だった。そのおじいちゃんは私の話をおじいちゃんみたいにふんふんと聞いた後に「まだ涙出るか」と聞いてきた。「え」とびっくりした私を尻目に、「こんな薬必要ないで。これ半分でええわ」とさくさくと処方箋を書いていった。そこから、一気に体調が良くなった。

 

そのマネジャーとは、元気になった私が仕事復帰した直後、一度だけオフィスで再会することとなった。その時の私は、彼を冷たい目で見るくらいできるようになっていて、彼も私をみるや気まずそうに一言二言かわして、逃げるように荷物をまとめて去っていった。彼は、その後すぐ転職した。

 

コンサルタントとは、真面目で、モチベーションの高い人々の集まりだ。だから、自分を追い込みすぎる人が多い。病気になって、「私も」「あの人も」そうだったのだという話しを本当にたくさん聞いた。少し斜に構えるくらいがちょうどいいのだ、ということを、わからないからと体に叩き込まれた。