乳癌術後13年目。3児の母のドタバタLife。 -8ページ目

乳癌術後13年目。3児の母のドタバタLife。

27歳で乳癌になった看護師の日々の記録です。
自由気ままにのほほんと。
愛する我が子へ、愛をいっぱいつめこんで。
術後12年経ちました。H30.6月に第3児を出産し、現在育児休暇中。3人育児に奮闘中。
毎日が戦い、そして勉強です。


無治療期間に入った父は、

地元大分で30年ぶりに母と2人暮らしをはじめました。

父と母は決して仲がよいとは言えない夫婦だったし、30年もの間、別々に暮らしていたもの同士が、今更いっしょに暮らしてうまくやっていけるのだろうか...

2人のことが心配でした。

しかし、はじまってみると、意外にも特に大きな問題やトラブルなく平穏な生活ができていたように、私には見えました。

ただ、やはり母からは同居生活の小さな不満や愚痴はよく聞かされました。
父は食べれる量が本当に少なく、好物のマグロの刺身を自分で買ってきては、二三切れ食べたら残りを母に食べるようにすすめた。しかし、母はマグロは好きではないし、父のマグロを買ってくる頻度もすごかったみたいで...
他にも、マグロのように父の残りがまわってくることが多く、食べたくないけど捨てるのはもったいないから無理やり食べていると、このての不満をよく言っていました。

それでも、母は一通り愚痴ったあとは、"病気やから仕方がないけん、我慢しとるんよ"と必ず言っていました。

母なりに気を使いながら暮らしていたんだと思います。

父は何も言いませんでしたが、

退院して少し経った頃、

突然、"神戸に戻って仕事をしようかと思う"と言い出したことがありました。

家族みんな驚きました。

話せない父がどうやって仕事をするというのか。

取引先や、お客様、仕事仲間との連絡はどうするのか。

メールでするとでもいうのか。

あまりに現実的でない父の話に、

家族みんなで頭を抱えました。


でも、きっと前の生活に戻りたかったんだと思います。

30年も暮らしていたら、友達も知り合いもたくさんいただろうし、父にとって、地元大分より神戸は落ち着く場所になっていたのだと思います。

そんな父の気持ちを考えると、みんな強く止めることはできずにいました。

そんな時、父は一度神戸に行ってみることにしました。

1週間の滞在予定でしたが、予定より2日早く帰ってきました。


それ以降、父の口から神戸に戻るという話がでることはありませんでした。



その後、父は母の畑仕事を手伝うようになりました。

父が畑仕事をする姿なんて見たことがなかったので、びっくりしましたが、母からブツブツ言われながらも、2人で仲良く野菜を作る様子はとても新鮮で、微笑ましく思えました。
父はもっぱら収穫担当だったようですが。

父は朝早く起き、畑の野菜を収穫、ビールを飲みながら朝ごはんを食べ、新聞を読み、チラシのチェック

10時からパチンコへ
毎日飲酒運転滝汗誰が何度言ってもやめませんでしたゲロー

12時過ぎに、買い物をして帰ってきて昼ごはん
もちろんビールも🍺

午後からは昼寝をしたり、畑仕事をしたり、日曜大工をしたり

17時に夕ごはんもちろんビールも🍺

18時にお風呂

19時就寝

こんな1日を過ごしながら、定期受診を続けました。

そして、たまに神戸にひょっこり遊びに行き、お土産を買ってきてくれました。
父にとっても母にとってもよい気分転換、息抜きになっていたと思います。

私たち家族にとって、とても穏やかな日々でした。

こんな日々が1日でも長くつづきますように。

みんなそう願っていました。








合掌をするひろっち。
じいじも喜んでくれていることでしょう照れ