71年間の人生でした。
5年ほど前に下咽頭癌と診断されました。
リンパへの転移もあり、stageⅢまで進行していました。
当時、父は神戸でひとり暮らしをしていました
。私が小学生の頃からずっと神戸で仕事をしていたので、父と会うのは、盆、正月、ゴールデンウィークぐらいでした。
父が癌になり、私たち家族は大分に帰ってきて治療をするようすすめましたが、
父は神戸に残って大きな病院で治療することを望みました。
下咽頭癌の手術は、喉頭も切除することになるので、喉元に永久気管孔という穴を作り、そこから呼吸をする状態になります。
そして、しゃべることができなくなるのです。
父は、手術を拒みました。
手術ではなく、放射線治療と化学療法で根治を目指す方法を選択しました。
おそらく主治医は手術を第一選択としてすすめたのではないかと思います。しかし、父の言葉を失いたくないという強い希望をくんでくれたんだと思います。
実際、咽頭癌は放射線がよく効く癌であり、初期の咽頭癌の治療では放射線が第一選択となっているようです。
父の選択を聞いた時、正直、大丈夫なのだろうか、手術をした方がいいのではないかと、看護師として今まで働いてきた経験の中からそう感じました。
しかし、娘として父の思いを考えると、いや!手術しないと!とは言えなかった。
父はみてもらっている神戸の大きな病院と、主治医をとても信頼しているように思えた。
地元に帰って治療するように何度も話しはしたが、父は"この病院は神戸で一番いい医者がいるから、田舎の大学病院よりいいんや"と、頑なに神戸で治療することにこだわっていました。
私たち家族は、父の選択を見守ることしかできなかった。
それから、根治に望みをかけて放射線、化学療法の治療を行いました。
治療中、一度入院している病院に会いにいきました。
久しぶりに会う孫を見て、うれしそうにしていたのを覚えています。おすすめの神戸の観光スポットをたくさん教えてくれました。ほんとはいっしょに行けたら一番よかったのにな。
その時は、腫瘍がどんどん小さくなっていると聞いていたので、このまま完全に消えてしまうんじゃないかと、治療の効果に大きな期待をしていました。
しかし、父に待ち受けていたのは悲しい現実でした。
放射線、化学療法で完全に腫瘍を消滅させることはできませんでした。
ここで、"このままにしておけば、余命6ヶ月"、手術をして残った腫瘍を取り除く根治術をすすめられることになったのです。
放射線を照射可能な最大限の量をあてていた父の皮膚は、火傷したように赤黒くなり、腫れもありました。この状態での手術は、縫合不全や感染などさまざまリスクが予想されました。
父は半分投げやりになっていました。
治療のこと、体のこと、なにもかも父本人から電話で聞くことしかできず、心配でたまりませんでした。
そんなある日、思いきって父がお世話になっている病院に電話してみることにしました。
受付で事情を説明し、主治医へ取り次いでもらえるように頼みました。
しかし、個人情報にうるさいこのご時世、簡単には取り次いでもらえませんでした。
何度も何度も私たち家族の状況を説明して、もう最後のほうは、聞き入れてもらえないのが悔しくて、悲しくて涙がでていました。
もう受付の人も困り果てたのでしょう、ねばったかいがあり、主治医に取り次いでもらうことができました。
主治医は、電話ではあまり詳しいことは話せないと言いながも、わかりやすく父の状態を話してくれ、私の質問にも丁寧に答えてくれた。
ただ一回電話でしか話していないけれど、その主治医に父が信頼をよせていた訳がわかった気がした。
父は、根治への残された望みにかけて、声を失う覚悟を決めた。
そして、私たちの説得に応じて大分に帰って手術を受けることになったのです。
