年末くらいから
ご縁があったのか出会った方がいます。


パパがいなくなって
さみしさはどうにもできず、
子どもたちはいてくれるけど
やっぱりパパの代わりにはならなくて。


色んなことに挑戦して
さみしさを紛らわしてきたけれど
やっぱりパートナーがいないさみしさはどうにもなりませんでした。


42歳にもなり、これから先を思うと不安ばかり。


子どもたちは高校生になり、末っ子も春から中学生。家を出る日ももう近い。


不安、、、


ただそれだけでした。



3回目の命日を迎える1ヶ月ほど前、
その方と会いました。


なんでそんなに理解してくれるのだろうと思うほどに、死別した私が求めてる言葉をかけてくれました。


罪悪感は大きくて
子どもへも、そしてパパへも。


でも、食事をしたり、行きたいところへ連れて行ってもらえるのは、本当に気持ちが休まりました。


運転してもらえるだけでも
とにかくなんでもありがたいと思いました。


ある日は、
1000体の仏像があるとあるところに連れて行ってくれました。

パパに似てる仏像を探して
涙が出そうになりながらも、
ゆっくりゆっくり歩きました。



3回目の命日を無事に迎え、
なんだかホッとしたように思います。


私のわがままにも付き合ってもらいながら、
出来ることをしてくれる、、
時折話す言葉が、パパかと思うようなこともあります。


もう限界やと思って、パパが引き寄せてくれたのかもしれません。


たまにママから、ひとりの人間としての時間をくれるその人には感謝しかないです。



不思議と、思っていたよりも
パパと比べたりすることはありません。


なんでそんなふうに優しいのか
よく分からないけど、
なんとなく今はお互いにそういうとき、、
って感じではあるかもしれません。



でも、私は逃げてばかりだなぁと思います。


パパからも子どもからも、
やっぱり辛くなって逃げている。


本当弱い人間。


でも、少し甘えさせてもらってもいいかなぁってパパに断りを入れてます。



この前、私の43歳の誕生日。


ケーキにロウソクを立てて、
バースデーソングを恥ずかしげもなく
一生懸命歌ってくれました。

くすって笑ってしまったけど、

私が一番パパに後悔してることを、
なぜか私がしてもらった気がしました。



まだ3年。

そんな人がいることは、不謹慎かな、とは思うものの、自分の人生やもん、人からどう思われようとそれはそれ!私は私。

そして、子どもたちは気づいているかもですが、何も聞いて来ないので、私も嘘をつき続けています。


出かける時は、、、。



子どもを優先してあげて、
っていつも言うてくれて、早よ帰りって言うてくれるので、安心しています。



なんか、こんなこと、ブログに書くのもなーですが、死別したら、死ぬまでひとりでいるなんて、さみしすぎませんか。



ほどよく、生きてる人間に甘えさせてもらうのもありかなって、感謝して甘えようって思いました。



でも複雑な思いはあるのですけれど。





そんな私です。



気を悪くされたらごめんなさい。


パパは大好きです。
会いたいです。
愛してます。