年末に車検だったので、
車の買い替えを検討してた。


迷ったあげく、
やっぱりあと1年か2年乗ろうと決めて車検を受けた。



でも…

最後にパパと治験を検討しに大学病院へ行った時、寒くて…
なのに、電気自動車だからエアコンをがっつり入れず、シートヒーターを主に使って行った。

車の中ではシートヒーターを切るくらい暑いと言ってて、でも降りたとき、風が冷たくてパパは寒さに震えてた。



レンタカー借りれば良かった。



レンタカー借りて行こうて話してたけど、
パパは、大丈夫やろ、(借りなくても)て。



その大学病院へ行って3日後に亡くなったこともあり、私はレンタカーを借りなかったことにとても後悔がある。


今までは…
パパが車、私は電車と電動自転車(往復7キロ)でお互い通勤していたけど、

これからは私が車通勤になる。



パパに、自転車はもう辛い、
雨や風、寒さ、暑さがきつい、
私も車で通勤したいわーと話してた。



それもまた後悔。



そんなこと言うたから、旅立ってしまったんちゃうかなとか、思ったり。



年末に買い換えておけば良かったと、
思っていたけれど、、


先日私と子供たち4人で乗ったとき、
子供たちも身体が大きくなり、狭いなぁと思ったのに、


むしろ余裕を感じるくらいで。



長女も、


「このくらいコンパクトなんでいいんちゃう」



て言う。



私も同じことを感じていたからちょっと驚いて。



なんでだろう…





そう、パパがいなくなったから、
5人だとぎゅーっと詰まって乗ってたのに、
大きなパパがいなくなったから、
空間が広くなった。



パパのいないさみしさをまた感じてしまい…


ズドーンと落ちていく私。







ただ、もうバッテリーの容量が減っていて、
1回の充電では100キロも走れない。

冬は特に充電が多くかかり走れないから、
毎日50キロの通勤だと、
毎日充電しなくちゃいけない。



悩みどころ…。



そして、パパとの思い出も詰まってるこの車。




パパは、買い替えようか検討してたとき



「俺が死んだらすぐ買い換えろよ!」て言ってた。


お金もあるだろうから…という意味で。



でもなぁ…



毎日充電しなくちゃならないとなると、
仕事からの帰りが遅くなるから、
それが嫌だなぁと思う。

子供たちに出来るだけ手作りのご飯を作りたいし、時間を大切にしたい。



まぁ、もう少し考えようと思います。






この記事を書きながら、、

ウトウトしてたら、



パパの夢を見たー!!びっくり


パパがいなくなって夢を見るのは初めてです。


夢の中のパパは、

まだやっぱり酸素を吸入していて、

でも鼻カニューラではなくて、透明の顔面を覆うほどのアクリルパネルみたいなマスク。



何リットル流してるのか気になって、
酸素の機械を見たら


2リットル。


2リットルなら少し良くなってるかなって思ったけど、
やっぱり苦しそうで、


痩せていて、


私の実家のリビングを歩いて移動するけど、


膝は曲がっていて、腰も前かがみ。




でも、透明のマスク越しの顔は、
整った綺麗な顔立ちで、
パパだなぁ〜って、



思ったところで目が覚めました。




パパの表情は暗くて、笑ってはいなくて。




私の実家にいるってことは、
うちの父と一緒にいるのかなぁ。


きっと、パパも酸素つけてでも、
生きたかった…って言いたかったのかな。
なんだか、パパの辛い表情が、
今の私たちと同じで。





朝が来たらやっぱり苦しい。



母も父が亡くなったときから、


朝が一番つらいと言います。





起きた時の、パパがいない現実感。




喪失感…


絶望感…


孤独感…




がなぜだか朝は半端ないです。





そして、自分が生きてることを思い知らされる。









子供たちはインフルエンザにもなったけど、
熱も下がり元気になって。
明日から登校できそうだけど、
ストレスが溜まっているのかイライラしてて、
泣いたり、怒ったり、叫んだり…。

そして、パパの祭壇前で、


「パパー」と言う。






やっぱりみんなみんなパパに会いたくて、


辛い気持ちと、


楽しく生きていきたいという気持ちと、



交互にやってくる。





コメントありがとうございます。
ほんとにひとつひとつ、心に染みていて、
心の支えになっています。

時間があれば読み返しています。
少しずつお返事してるのですが、
もう少し分かりやすくならないかな、アメブロさん。ショボーンどこまでお返事したのか分からなくなっちゃう。



とにかく、今はたくさん泣いて生きて行くこと、


皆さんに教えてもらいました。


食べて寝る、
その生きる基本だけを頑張ります。







★話は別になりますが、父に関する医療訴訟の件で、今回パパのことでコンタクトを取らせていただいた方々から、困ってたら弁護士さん紹介するよと言っていただきました。私の決意は固いので、母や弟も、そしてパパも背中を押してくれてます。パパは「鉄は熱いうちに打て」と言ってました。「父はきちんと治療を受けていれば今頃仕事もしてるだろう」って。本当なら、レントゲンで見逃されたパパのことも訴訟にしたいくらいなんだけど…それには色々あって。





過去に父のことを書いた記事がありますが、、
興味がある方は読んでください。

もしご協力いただける弁護士さん、医師の方、看護師さん、いらっしゃったら直接メッセージ下さい。よろしくお願いします。




(略)
父、享年64歳。入院前日まで仕事。
首の痛みと咳で近くのクリニック受診。レントゲンで肺炎と診断。すぐ県立総合病院へ救急で診てもらうよう紹介。夕方車で急ぐ。
ここでも肺炎と診断。酸素10リットルでもSPO2が80.70と下がる。10時間後挿管。翌朝には低酸素による多臓器不全で危篤。心疾患と分かり、ほぼ助からないと言われたが入院して24時間後弁置換術を受ける。命は取り止めたが、その後様々な医療ミスがあり、4ヶ月後に亡くなった。

肺炎は誤診。初期のレントゲンも心胸比で分かるくらい心臓大に気付く。肺は炎症ではなく弁膜症による心臓から肺への逆流による肺水腫。救急時の採血でBNPの値がすでに1000。酸素化不良は心不全のせい。四肢と顔面浮腫なく、明らかに左心不全。点滴どんどん落とすのに、尿量50ml。どこに水がいく?肺に決まってる。利尿剤すら使っていない。

3人の医師が診て、誰も分からない。誤診を指摘してカルテ開示してもらった途端、3人の医師は姿を消して異動していなくなった挙句、県立総合病院の院長が辞表だけを置いて消えた。ニュースにもなった。

父は不安と恐怖と苦しみ、痛みで、本当に辛い最期だった。

私は絶対に許さない。
あまりに低い医療レベル。わずかしかない県内の3次救急。
これ以上苦しみ死ぬ人を出してはいけない。