皆さま、ひとつひとつコメントを
ゆっくり読ませていただいてます。

大切なご家族を亡くされて私の気持ちを共感してくださる方、
今ご自身が闘病中で、もしものときの家族の気持ちを思って私のブログを読んでくださってる方、
心配して声かけてくださる方、

ほんとにほんとにありがとうございます。



闘病中の方は、


とにかく生きてください!



食べること、動くこと、笑うこと、
本当に本当に大切です。




そして、励ましてくださるたくさんの方へ



 

わたしも本当は生きたい、

本当は幸せになりたい、

ちゃんとこどもたちを安心させたい、




その気持ちが、みなさんのコメントを読んでいて自分の中にも芽生えてきたのを感じています。




それは、この10日間のこどもたちの変化であり、

ブログで励ましていただいたおかげであり。




もうパパがいないことは現実だって、

そんな風に思いはじめていましたが、

今朝も起きてすぐ涙が止まらなくなり、


ギューっと胸が締め付けられました。




そして、用事があり、

パパと本当によく行ったショッピングモールに出向きましたが…

気がつけばパパの姿を探している私。

車の中で、咽び泣き。


「パパー、一緒にいつもいってくれとったのにー 
    なんでパパおらんのよー、
    パパー!!ひとりさみしいー!いややー!」



家の中も、車の中も、お店も、近所の公園も、
どこでもまだパパのことを探してる、パパを感じたくて心が動揺しています。







亡くなったときのこと。

私が覚えておきたくて書いておきます。
(前に書いた内容と重複するところも…)


リアルな描写もあるかと思います。
読まれると辛くなるかもしれませんので、そんな方はこの辺で今日はお別れを。


またこんな内容、賛否両論あると思いますので、
読んでいただく方は、どうか否定しないでください。


アメンバー限定にしたいのですが、
アメンバー申請をたくさんいただいて、まだ対応できてなくて、ごめんなさい。































前日、弟夫婦(パパにすれば義弟)が来てくれていたけれど、


昼間はずっと寝たままで、





それが急に、


「お!●●(名前)!」て言うたかと思ったら


またすぐに眠っちゃって。




でも、どこにも行けないこどもらを連れて

弟が買い物に行ってくれて、


そのことについて



お店の名前を言おうとするけど、



なかなか出てこなくて、



私といつもいくショッピングモールの名前はしっかり出てきて…





弟たちとこどもらが帰ってきたときは

まだまだ眠りから覚めずだったのに、



しばらくすると起きて。



すごく苦しそうに胸郭がぺこぺこ動くくらいの
呼吸。



一生懸命に弟に話そうとする。




そして、


私の左手、弟の右手をつないで



「せーの♪ハッピバースデートゥーユー♪」



と歌い始める。




え?びっくりびっくりって顔で私がパパを見る。





パパは何度も




「せーの♪」って言う。



なのに、私歌わずに




「誰の誕生日?」て聞く。




そしたら、声にならずに手でパパは自分の胸を指す。




「パパの?パパの誕生日?」



て尋ねると



「うん」て。



なのに、なのに、私歌ってあげんかった。



パパの誕生日はまだ先やん、って。
(6月だから)


でも歌ってあげれば良かった、




パパは歌って欲しそうだったのに。




そして


ニコっとして「●●(弟が)来てくれた」って。




久々に笑顔を見た気がする。




「なんでなん?なんで集まってるん?
    不思議や、なんのたくらみや?なんの元凶や?」



みたいなことも言う。



いつもの会話と違うことには


十分に私もわかり、


すごく焦った。




医療用麻薬のせいかな?と思いたかったけれど、
このときからパパは全然いつもと違うかった。


ただ、弟の帰りを心配し、
弟の息子やお嫁さんにはいつものように声かけた。

そのときのパパは、いつもの、人のことを一番に心配する優しいパパだった。



夜中は苦しくて麻薬を追加したり、

足をさすると少し落ち着くが、



身の置き所がない。



電動ベッドのパパの足の横に

うづくまって私はウトウトしながら、

足をさする。



ほとんど眠れない。



当日の朝、
夜眠れなかったのに、
朝にトイレに行く(大きい方)というパパ。



フラフラしながらトイレに座って、


15分くらい。



私も必死でパパの前にたち、

頭や上半身を私にもたれさせて、


座ってる姿勢を保ち…




それくらい座ってることすら辛かったのに、
排便をしました。



普通なら便が出て良かったね、って言いたいところだけど、とても怖くなって、、、
これが最後になるんじゃないかと思ったのを思い出します。



その後は…

パパも開眼していることが増え、


その目はもう意識的には動いていなかった。


瞳孔反射が弱くなって…




看護師さんに連絡した。



様子を話した。




訪問看護師さんは



「●●ちゃん(ぶーやん)、もしかしたら今日がパパとおれる最後かもしれへんから。
   子供たちはいる?子供たちを集めて、パパにお別れを言うように話して。それから…
   ●●ちゃん(ぶーやん)も、パパに、もうよう頑張ったね、もう楽になっていいよ、ありがとうって言える?言えるよね?」


って言われて。


子供たちに話しすることは、


やらなあかん!て強く思ったけれど、



私自身は、パパに「もういいよ、もう楽になっていいよ」なんて言えなかった。




そんな気持ちには全然なれていなくて、
看護師さんの電話でも、いやだーって泣いたと思う。



そして…子供を集めて話しをし、


家族や友人、最低限の人にパパの横で連絡。




「呼ぶなー」と声にならない声でパパは言いました。



自分のために人に動いてもらうのを嫌がるひとだったから。みんなにはみんなの生活がある、それを中断してまで自分の所に来てもらうのは申し訳ないと、本当にいつも自分は後回しにしてた。





家族がかけつけてくれたあとに、


ベッドの端に座ろうとするパパ。



座ったので身体を支えて、


採尿したところ、出ました。




それが最後。


オムツも残りの4.5時間、つけましたが、
全く汚すことなく、旅立ちました。





トイレに行けなくなったらカテーテルを入れて、
オムツつけて、

意識がなくなったら点滴で高カロリー輸液入れて、


って順番に…と想像していたので、



ほんとに最後の最後まで、自力でやってのけたパパはすごいと思いました。





たくさん汗をかき、
サチュレーション(酸素の値)が下がり、
血圧はギリギリまで保っていたけれど、
心音がゆっくりになってきて、
やがて止まって、そこから大きく一呼吸して
永眠した。





私は、最後まで泣きついて、


「いやー!パパ、いやだー!逝かんといてー」


って叫んでたと思う。




ある方のコメントで、


聴覚が最後まで残るということプラス、
死後の4分間は聞こえていると言われ、それは信じる医師もいるし、いない医師もいると。



きっと、私は最後まで泣き叫んでいて、
パパは苦しかっただろうなと思う。



子供たちにもその叫び声は強く記憶に残っているようで。


私自身は、母や弟に抱えられたような気がするけど、少し記憶が曖昧。




パパの心音を、子供たちと代わる代わる聴診器で聞いた。



最後までドックンドックンとしっかり聞こえた気がする。



でも、少し前のブログにも書いたように


亡くなる日の午前中、


パパの瞳孔反応がなくなり、
でもわずかに反応してくれたとき、



「治療はもうしないの?」って聞くと、
首を横にゆっくり振って、


「もう終わりにするの?」って聞くと、
首を縦に振った。



私はそこまでしか覚えていなかったけれど、



長男はその後に


「死ぬ。」


ってパパ言ってたよ。って。



言ってたやん、ママ聞いてなかったん?って。





それを聞いてすごくショックで。





パパ、自分で決めたんだなって。



そういえば、パパは死を意識したとき、
戦国武将や歴史的人物がどう亡くなったのか、
何やらスマホで熱心に読んでいた。



最期の自分をイメージしていたのかな…





義理の母が


「●●ちゃんに(ぶーやん)ありがとう言いなー」て促されて


「あ り が と う 」って。




そして、朝に長女が


「私だれかわかる?」てパパに聞くと


「●●(長女の名前)やで」て言うても、

首を横に振って。



だから、長女がかなりショック受けていたので



「パパー子供の名前ひとりずつ言うたって。」


って私が声かけて。



「●●(長女)、●●(長男)、●●(次女)」


とひとりずつ、私が言うと、


パパもひとりずつ復唱してくれた。




それが、コミュニケーションがとれた最後でした。




その後も、みかんゼリーは半分くらい、
シャリシャリにした氷と一緒に
食べてくれました。

それも最期まですごい力だな、

やっぱりまだ生きる!生きたい!という思いが強かったんだと感じます。





午前中に一度来てくれて、
午後のパパの亡くなる時間を知ってるかのように今度は夕方来てくれた若い看護師さん。




的確に声をかけてくれて、
亡くなったあとも、
みんなで温かいタオルで身体を拭いて、
いつも出かけるときに着てた服に着替えさせて。




そこからしばらくして往診の先生が来られ、
死亡確認となりました。




先生は、これまで頑張ってきたパパのことを話してくださり、
ふたりでよく頑張ったねって。
たくさんお話してくださいました。



そして看護師さんと、
医療用麻薬を全部かき集めて持って帰られ、
借りていた吸引器なども引き取ってくれました。





在宅での看取りをされる時、
急に往診の先生が来たのではダメで、
警察が入ることになるそうです。

定期的に往診が入っている必要があって、
それではじめて看取りが出来ると。



亡くなる時、慌てて先生を呼ぶイメージでしたが、訪問看護師さんは、


「もし心臓が止まったら、救急車など呼ばずに、
   家族みんなでゆっくりお別れをして、それから慌てずに先生に連絡してください」と。



うちは訪問看護師さんがいてくださった時なので先生には看護師さんから連絡してくれたのですが…




訪問看護師さんは、
在宅での療養をするにあたり、本当に強い味方です。


もしも在宅での最期を考えられているならば、
看護師さんが力になってくれると思います。







亡くなった顔は本当に安らかで、

翌日、気持ちが少し落ち着いて
死化粧とヘアセットは、私が。




結婚して15年間、

ずっと美容室に行ったことがなく、


いつも私が髪の毛を切っていたし、


眉毛もキレイに。



娘は、シェーバーで鼻下のヒゲを剃ってあげて、



あごのヒゲは私が整える。



いつものパパだね。




本当に呼吸も楽になって、


久々に眠れてるねん、って顔で、


いつものようなキレイな寝顔。




鼻はシュッとしていて、



まつ毛が長くてフサフサで、


すごく幸せそうな顔。







私はきっと後悔し続けるし、
パパと生きたかったと思う気持ちは持ち続ける。





でも、私も頑張れたかな?



パパが毎日、



「今日もありがとう」


そう言ってくれた。



それを思い出すと暖かい気持ちになれる。






そして、
パパのお知り合いが


「短い命だったかもしれへんけど、家族に囲まれてほんまに幸せそうに旅立って行ったよ。うらやましいくらい。」って。



少しそれを聞くと、
辛いながらも少し、ほんの少しだけ、
ホッとする気持ちになれたり。





でも、今は…



今日無印にふらっと次女の下着を買いに入ったら、なんだか夢中になって買い物してて、
夢中なのに虚しさの方が優っていて、
なんとも言えない孤独感でお店の中なのに大きな声で泣いてしまいそうになる。





そんな感じなんだろうな。
思い出したり、苦しくなったり、虚しくなったり、また少し薄れたり…日常生活に追われたり…


辛すぎたら、
完全に脳が思い出せないくらいシャットアウトしたり。(お父さんのときにそうだった)



自分を守るように人間の身体と心はできてるなぁと思う。






そうでなかったら、
一歩も前に進めないよね。






さて、長男も昨日からインフルエンザ。

残るはわたしと、長女。


 
なんとか耐えれるかな?





パパがいつも側にいてくれる。

背中に乗っかってる。


パパのセリフ


「大丈夫、大丈夫や」を思いだして。



パパのお骨でペンダントを作りたい、

子供たちがそう言ってます。、


いつも守ってくれるように、


いつもパパを側に感じられるように。