数年前に、精神疾患とアルコール依存症を持つ父を亡くしました。

これまで体験したことを振り返り、家族の関わり方について思ったことや、感じたことを書いています。

 

3人の子どもを持つ母であり、看護師です。

  


 

看護学生の頃、精神看護の授業で、

 

*病識を持つことが、治療を行う上で、重要である。」

*病識:自分が病的な状態にあることを自分で認めていること

 

と習いました。

 

統合失調症の父を思い浮かべると、とてもとてもそれが遠いことのように思いました。

 

父は精神科から処方された薬は、睡眠薬だけ選んで内服し、他は捨てていました。

 



「自分は病気ではないから、この薬は必要ない」

 

という認識でしたし、幻覚や幻聴がないときも、根本の思想的な部分は一貫しており、その点についても介入の余地はありませんでした。

 

父は、思想的な話しを幼少期の私にずっとしてきましたので、大人になった私にも聞いてもらおうとしました。

 

それは、私にとっては恐ろしい思い出ですし、聞くと父の精神状態の悪化を招いてしまいそうだったので、聞くことはしませんでした。

 

私はこれまでずっと、父の思想的な部分を全て病気と捉えていたのですが、今振り替えると、本質的な考え方の部分と、統合失調症という疾患の部分が重なりあっていたのではないかとも思います。

 

 


アルコール依存症についても、病識を持つことはできませんでした。

 

警察に何度かお世話になることもありましたが、どんなことがあっても、治療を受け入れようとしませんでした。

 

アルコール依存症を治療する病院に何度か相談してはみましたが、本人の意思がないと受け入れられないと、一度も依存症の治療で入院することはできませんでした。

 

 

 

本人に病識がない場合、キーパーソンは家族です。

 

けれども、私たち家族は、本人に病識がないことで、どこかあきらめてしまっていました。

 

また、私は20年ほど親元を離れていましたので、関わることが難しかったことも正直なところでした。

 

家族をやめる選択肢もあったでしょうし、実際、母に何度もそうしていいと伝えました。

 

けれども、

 

「子どもに迷惑がかかるから。」

 

と、離婚はしませんでした。

 

それも本心でしょうし、離婚というエネルギーが湧かなかったとも言っていました。

 

もしくは根本には、愛情があったからかもしれません。