茶の湯とはただ湯を沸かし、茶を点てて、飲むことと、推して知るべし。(千利休)茶道の師匠であり、豊臣政権のブレーンでもあった、千利休の先祖、田中氏は群馬県高崎市榛名町の八幡太郎義家のひ孫である里見義俊公を遠祖とし、歴代の裏千家の代表は現在に至るまで榛名町の里見家の榮域がある光明寺において菩提を弔っています。私も里見一族の代表として、お付き合いをさせていただいています。
里見家二代、義成公は源頼朝公の側近の中から選ばれて、頼朝公の子息に武芸を教授したことで知られる人物です。清和源氏 源義重公の子孫の中で最初に伊賀守に任ぜられた人です。源義重公は八幡荘(高崎市)を拠点とし,東毛地域を開墾し子孫に分け与えた伝説の巨人です。子孫からは房総の里見、四国の蜂須賀、裁判官の大岡越前守忠相、徳川家康、新田義貞、千利休他日本の政治、文化に影響を与えた人物を多数輩出しています。郷土料理の「おっきりこみ」は源義重公が京都から伝えたそうです。
その偉業を称え、八幡町の八幡宮境内に昨年八月に私が企画して「騎馬像」を建立しました。是非お出かけ下さい。
源義重(通称新田義重)公の騎馬像建立に合わせて群馬テレビのご協力で「源義重あり」の30分の解説動画がユーチューブでご覧いただけます。ぜひご覧下さい。これも私が編集しました。