禅の悟りは心から心へと伝えられるため「不立文字・文字では表現できない」そうですが、合気道は体から体へと伝えられると師から聞いたことがあります。植芝開祖の受けを何回もとることで奥義を悟れということです。しかし、現在では植芝開祖の受けはとれませんので「小糠三合(100)を持つ力があれば合気道はできる」といった謎めいたことばを元に再構築しなければなりません。力を感じない力は必ずあります。そしてそれを稽古しています。開祖の時代は表現方法も解説方法も、数学、物理、化学、身体学、生理学、仏教哲学も合気道とは無縁でしたが、現代では色々な方面から合気力学(私がつけた仮名)ともいえる探究が進んでいます。文字や言葉で表現できる合気も徐々に増えてきています。