二十代半ばから稽古を始め、三十代から指導をはじめ気づいたら44年、情報収集、出稽古、他流の研究等努力してきたつもりでしたが、最近になって「なんだ、こんな大事なことに気づいていなかった」と後悔。まだまだ未完成であることに「気づく」これからも、反省と改善、探求が続くと思うと飽きてなんかいられない。勝ち負け、強弱にこだわるのは別次元の世界、日本武術の試合は自分のレベルを相手を通じて試みること、高崎市出身の寺田文五郎は木剣の型稽古で名を残しています。当時の日本人の見方(評価)は現在とは違った感覚であった証拠です。日本の技芸は悟道への道、勝つと思うなおもえば負けよ(柔道)、未だ木鶏に至らず(相撲)合気道は動く禅(鈴木大拙)私もこの境地を目指したいと常日頃思いながら稽古をしています。
来年の春を目指して「新田 源義重・清和源氏の嫡流 源頼朝の叔父(源頼朝の兄、義平の嫁の親)」像を高崎市の上野一社八幡町八幡宮境内に建立を私が計画しています。無事に建立できたなら報告します。