金閣寺を建てた足利義満に対して銀閣寺を建てた足利義政はよく比較の対象にされます。銀閣寺は決して銀色ではありません、錆びた茶色です。義政は応仁の乱を起こして長引かせた張本人と言われ(真実は畠山氏の家督争い)政治家としての評価は芳しくありませんが、日本の芸術観の方向(わび、さび)などの禅的な芸術はこの人の影響は看過できないようです。このころ林崎甚助の居合が起こり、この人の弟子に関口氏心「うじむね」(柔術)が現れ、足利義政は東山文化と言われる日本の文化、伝統に影響を与えました。義政の家来(同朋衆)の孫に茶道の完成者千利休がいます。茶道や花道、能、武術等の芸能がこのころ生まれています。金閣寺(陽:みやび)から銀閣寺(陰:わびさび)への思考の流れは暗いあきらめの時代の流れを象徴しているように思えます。義政の継嗣尚義に仕えた(申次…大名と将軍との申し次ぐ役で将来の重役候補)北条早雲(伊勢新九郎盛時)は幕府を見限り縁を頼って今川氏に仕官しています。田中も伊勢も私の先祖も生きるために足利将軍から離脱していくことで地方に変化が生じていきます。
金(陽)から銀(陰)への思考の変革は義政からだと私は思います