合気道はみそぎの武道と言われ、みそぎとは禊ぎであり、身を削ぐことであり、六根清浄〔ろっこんしょぅじょう〕と言うことを合気道で実践することにより、精神的に肉体的に向上進化すると信じて稽古をする人もいます。これはおそらく大本教の神道から来ていると思いますが、では六根清浄とは何かと問われると答えられる合気道入門者は少ないと思うので、六根清浄の詞を紹介しておきます。

 

「天津御祖、天照皇大神の宣り給わく。人はすなわち天の下の神物なり。すべからく清め鎮めることを掌る心は、すなわち神と御霊のもとのあるじたり。吾が心魂を傷ましむることなかれ。この故に目にもろもろの不浄を見て心にもろもろの不浄をみず。耳にもろもろの不浄を聞いて心にもろもろの不浄を聞かず。鼻にもろもろの不浄を嗅ぎて心にもろもろの不浄を嗅がず。口にもろもろの不浄を言いて心にもろもろの不浄を言わず。身にもろもろの不浄を触れて心にもろもろの不浄を染れず。意にもろもろの不浄を想いて心にもろもろの不浄を思わず。この時に清く潔よき偈あり。もろもろの法は影と像の如し、清く潔ければかりにも穢るる亊なし。説をとらば得べからず。みな花よりぞ果実とはなる。わが身はすなわち六根清浄なり。六根清浄なるがゆえに五臓の神君安寧なり。五臓の神君安寧なるがゆえに天地の神と同根なり。天地の神と同根なるがゆえに万物の霊と同体なり。万物の霊と同体なるがゆえに為すところ願としてならずということなし、霊相真道成就。