合気道はどうやって生まれたかを考えると、日本合気会の説明では、植芝守平が開祖と言うことで、基本となった大東流とは全く違った術理で、和合の武道として今日伝わっている。とのことです。だが、和合の武道に至るまでのこととなると精神論であり、合気道の初心者にとっては違和感を覚えるのではないでしょうか、和合の武道としての合気道を理解できるほどレベルが高い人は少ないのではないでしょうか。

「実は私がそうでした」合気道の原点は先輩(生きていれば80代)の話によると平安時代の戦乱期において、甲冑で槍やなぎなたで戦っていた〔刀は槍やなぎなたが折れて使用不能になった場合に最後に使う〕時代にお互いが手元に武器が無くなった場合に組討、相手に武器があった場合は太刀取り、槍とりになったとのことで、この技が骨法や柔術として発展し、表芸が剣で裏芸が骨法となって色々なお家芸として、秘伝として伝わって来たとのこと、その流れの一つに大東流があり、植芝開祖が総合武道としたのが合気道と言うことになり、大本教の思想を加味して現代の「相手をも和合、調和してしまう和合、調和の武道」として今日にいたっているのではないかと考えます。

 現在は武道の本やビデオが氾濫しており他流の技を見る機会が多く、何々流と書いてなければ合気道の技と言われても違和感の無い技が多く見受けられます。本当に全て植芝開祖の発明の技なのか疑問をもたざるを得ません。ただし、「私の理想とする合気道とは、関節技以外は気が付いたら投げられていた、倒されていたという風に、受けに恨まれることの無い後味の良い技の掛けを 心掛けることが合気道の技」と信じて稽古をしています。それが敵を作らない、和合、調和の技と考えています。