目付とは相対した時に相手のどこを見るかと言うことですが、剣道の目付けは山の紅葉を見るようにと教わったが、相手全体を観ろということと解釈している、相手全体とは足から頭まで全てとなるとなかなか難しいことで、普段の練習を意識的やるしかない、器官としての目があるならば、見ることは誰にでも出来る。しかし、それを技術としての目付をするには、何よりこころの持ちようが大切であり、心が磐石であり、まず心で相手を見る。相手が何をしようとしているかを心で知る。目付の場所は各流派で相違あるかも知れないが、「心を散らさず、心で観る」ことは、同じだと思う 馬庭念流の兵法心得では「目に見えぬ所へ目を付ける事肝要。これを観見の心持と云う。」目をまたたき心に見る心なり。この観見は容飾を去りて見る心なり。と帰されている。相手の目を見てはいけない、目に気を吸収されてしまうから、相手の太刀、手を見てはいけない、手に気を取られてしまうという植芝盛平開祖の話も伝わっています。