佐藤墨渓画(江戸時代…富岡市の画家、長崎に遊学 出は新潟)

多くの武士を排出した鎌倉初期の源義重の墓

※佐久間象山の書は道場に展示

芸術大学を出て立派な芸術家に成れる訳ではありません。かつて名を遺した芸術家の多くは有名な芸術大学の出身者ばかりではありません。過去に名をなした芸術家、武芸者、思想家達の時代はたいした学校はありませんでした。せいぜい江戸時代に寺子屋があったていど、珍しい学校として、足利学校等が薬学、医学、天文学等の基礎、基本を教えていたていど、それ以上の学問は本人の精進努力にかかっていました。和算の大家関孝和は上毛かるたで知られていますが、学校に通ったのかは不明です。江戸時代には武術や学問については藩校でお抱え武芸者や学者により学べたようですが、一部の人に限られていました。それなのに、将軍徳川家茂に呼ばれた長野松代の佐久間象山のような傑物が誕生しているのは日本の平均レベルが高かったからだと思われます。合気道は正式な学校が無いので道を求める人には大変だと思いますが田舎には象山のような人物がいるかもしれません。道場がほとんど無い現状でしかも週に数回のカルチャースクールで学ぶのは無理があります。学問や芸術と同じく、どんな指導者のところに行っても本当の極意を教えられるところなど望まないほうが良いと思います。現代の環境は情報に満ちあふれています。本人のやる気次第でいかようにもなるのではないでしょうか。