
宮本武蔵は13歳で有馬喜兵衛という武芸者を倒しています。そののち円明流道場に入門し三年間修行します。五輪書の中で、「物事を始めるということは自分が新しくなること」と書いています。だから、新しくなるためには自分の今までのことを捨てて新しい気持ちになることがなによりも大事だと書いています。武蔵は、新しいことを学ぶということは自分が新しくなることだという意気込みで剣を学んでいます。それが武蔵を剣豪にしていった訳です。円明流は播磨の剣として始まり、当時円光寺という寺が道場になっており、そこで武術は教養を身につけたと思われます。武蔵は道場に通いながら、吉岡道場とも戦っており三年間留まっていたのではなく、伝授と実践と指導を併せて剣豪の道を歩んでいたようです。武蔵が剣について悩んだ時に播磨にいた藤原窩惺という朱子学者〔徳川家康が朱子学を政権運営の柱にしようと招聘したが断って入門三日の弟子の林羅山を推薦した人〕に会い「迷いが出てきた時、剣より入りて道理に至れ」と言われます。「道理というのは、人間の側ではなくて、宇宙にある。剣から入って道理の真理に至れ」といわれた訳です。武蔵は人を斬るのではなく、一つの宇宙的な真理にたどりつくための剣について閃いた、そこから、次の武蔵が始まることになります。