特に秘伝とされている法則に我が家では「のの字の伝」として伝えられている技があります。我が家は江戸時代は医者と薬屋で生計を立てていたのですが、家伝の薬は京都から持参した薬草辞典のようなものを参考に渋川市の赤城よりで室町時代の後期に商売を始めたと伝わっています(あくまで言い伝えで証拠はありません、渋川市にも記録がありません)。江戸時代は現在の妙義山の麓の地で商売兼医療(針灸とつぼ)をしていました。一番大切な人体のつぼを秘伝として代々、跡継ぎに継承していたました。幕末の下仁田戦争(水戸天狗党と高崎藩)の時、傷ついた兵士の治療に当たったようで 戦争の記録では、二人の兵士がこの地で亡くなっています。話がそれてしまいましたが、つぼや経絡から生まれた武術の一つである 「のの字の法則」は受けに対して 「のの字の法則」で崩せます。人体の経絡を熟知している人なら、簡単に理解できると思いますが 町医者ならではの貴重な「気づき」だったと思います。長篠の戦いまでは本気で戦っていましたから、そのころから解っていたのかも知れませんが、鎧を着た相手に「のの字の崩」しは通用しませんので、やはり、江戸時代からだと思います。のの字の法則には四角の中の「の」と長方形の長い「の」があります。文章だけでは表現しにくいのが残念です。受け手が反抗すること無くふぬけになるのは「ののじの法則」を正確に使うことで成立します。できるようになると楽しくて、楽しくて、是非身につけてください



赤城のお不動様(里見城主 里見氏義が京の仏師に彫らせました、重要文化財・鎌倉時代)