我が家に現存する一宮流 免許皆伝書(元禄)
 

勢多郡箱田の木曽三柱神社境内には、法神流四代根井弥七郎行雄の門人らによって「法神流剣法伝統碑」が建立されています。その法神流の開祖が楳本法神{うめもとほうしん}と名乗る通称「赤城の仙人」と伝えられる人です。「年齢は不詳、名前も実際は定かではありません、文政十三年没と言うことが判るだけ、ただ彼が身体の構造を知ることが剣の奥義に達すると悟った人で医療行為も出来たと言い伝えられており、相当の教養があったと思われます。」実在の人物であり、九十歳になっても跳ぶように歩き、水の上をも歩いたと言われ、超人として言い伝えられています。

 

 この人の前半生は謎につつまれていますが、この老剣客が赤城山西麓から奥利根地方にかけて、居所も定めず転々と門人宅を流萬、戦国期の兵法にも似た実践型の「法神流」剣術を広めたのは事実であり、この流れから 新徴組(江戸での新撰組)の女組士 中沢琴(沼田市利根町穴原出身)や「昭和天覧試合」において当時の剣豪小野派一刀流の高野茂義範士〔昭和の剣豪・高野佐三郎の養子〕を破って優勝した〔名実共に日本一〕持田盛二範士が現に存在するのですから、架空の人物では無いのですが、はっきりしない謎の達人なのです。群馬県は農民が不思議なくらい武道好きで、全国の中でも屈指といっていいほどの流派があったと思われますし今も現存しています。群馬で合気道に一番近いものは気楽流だそうですが、体術には共通点が多いことを改めて感じます。