道元の坐禅は、「只管打坐(しかんたざ)」です。「ただ ひたすらに坐る」という意味です。それに成りきること」であり、坐禅は、坐ることに成りきることです。体と心が一つになるということです。背筋を伸ばし体が真っ直ぐになれば、心が真っ直ぐになる。心が真っ直ぐになれば、思うことが真っ直ぐになる。「形は心をつくる」ということだそうです。合気道を勝敗とは別の思考で、植芝開祖の「天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至る技であり道である」という言葉に共通点を見出せると考えます。宇宙と一体化した私に敵はいない、たとえ攻撃しても無力となる(植芝語録)。ただひたすら稽古をする。宇宙に成りきる。すると体と心が一つになる。ただ座り、座ることに成りきる方法と稽古相手(小宇宙)と一体化することの方法の違い。私には実体のある稽古相手がいる方が合っているようです。武道の言葉で心技体と言う言葉は心と技と体が合致したときを表現しています。剣道は打撃時の踏む音、声、気迫を尊び、気、剣、体の一致と表現しますが、合気の気、剣、体の一致とは違うと考えています。もし、道元に合気の座禅について問うたとしたら、「合気に成りきれ」と言われると思います。