上泉伊勢守は教育武道として、無刀どりを考案し柳生宗厳に課題として与え、探求の末に柳生宗厳は剣禅一致の境地に達したと言われ、この精神が幕末の剣聖 山岡鉄舟は剣術大意のなかで「無刀とはなんぞや、心の外に刀なきなり。敵と相対するとき、刀によらずして心をもって心を打つ、これを無刀と言う」日本の剣術は人格向上のための剣道、体術に向っていったと考えると殺人剣から活人剣、体道である合気道は平和を求める武道とすれば存在意義が理解できます。強さを求める、理合を求めるといえども個人には限界があります。相撲の世界でどんなに努力しても小兵が横綱になったことはありません。おのれの限界を知ることで求める道が決まります。合気道は普通の体の人が稽古できる試合の無い勝ち負けにこだわらない武道だと思います。