三社託宣 木暮一徳齋書 長野善光寺の表門の善光寺を書いた人と言われる

山岡鉄舟書              植芝盛平書 天の浮橋




高野佐三郎書           三計 里見治平書

居合目録(江戸時代)

  
植芝盛平翁は書をたしなんだ、道場に掲げる書は勿論のこと、自分の合気道についての思想を書で表現した。昔から日本人にとって書は特別な存在です。現代に引き継がれている書は武道の達人、でもなぜか有名な武道の達人、高僧、政治家などが現代にも引き継がれている。山岡鉄舟〔一刀流免許皆伝、無刀流開祖、明治になって静岡県副知事、茨城県知事、明治天皇侍従〕などは書の達人で一生涯書を書き続け書を無料で配布したのは有名な話です。書というのはただ上手になることが目的では無いらしい。そうすると書は字なのかデザインなのか解らない。越後の良寛さんは紙が無いので空に向かってイメージで書を習ったと言われている。なぜそこまでして書をたしなむのだろう。本人は書家になろうなどとは思わないで書いていた訳で、有名にしたのは死んだ後の話。書の専門家だけで生きた人に有名な書家が少ない、三筆と言われた人達も他に立派な職がある、書は書く人の内面が表面に現出したその人の人となりの表現、お手本どおりの形を超越した何かがないと人の心を打つことは難しい。書は書く人によって色々な意味を持つようだ、おそらく自分の現在の心境や境地を書で表現することを日本人は好む伝統があり書は自分の分身と言う考えが現在に至っているのではないか。合気道の植芝盛平翁の書は決して専門家の書とは言いがたい、書家としての評価は無い。しかしその文字の中に不思議な〔気〕力が潜んでいる。修行による合気の気と修行による合気体が合体したときに人に感応させる何かが生じているようだ。