
「われよくやしなうわがこうねんのき」弘道館里見道場の名前の由来は祖母の祖父(鈴木無念流の鈴木専十郞)の出身地水戸弘道館です。
安中藩の海保帆平と言う武士が徳川斉昭に気に入られ水戸藩の弘道館の師範に迎えられた。しかし、水戸には鈴木派無念流があり、無念流から独立した不二心流の中村一心齋という70余歳の達人が水戸藩を訪れた際に試合うこととなったが二十代の帆平がまったく歯が立たず試合にならなかった。気後れ状態のまま負けてしまった。竹刀を振ることも無く、「野球でいったら、三球三振、しかも一回もバットを振らないで。」つまり、手も足も出ないで完敗しました。絶対的な差がある場合にこのようなことが起こります。海保帆平も相手の実力が立ち会う前から悟ることができたと言うことは実力があるからにです。素人なら気後れしないで打ち込んだと思います。もちろん簡単に打たれていますが。
※合気道を学んでいる人なら合気の剣について探究することをお勧めします。
合気の動きは剣の動きを理解することで実力が向上すると思います。