「達人は大変臆病でなければならないと言うことです。」臆病というと腰抜け男を想像してしまいますがそうではありません。日常生活や仕事においても常に「臆病」でなければ失敗する確率は高くなることはだれでも経験していることだと思います。戦闘における失敗は即「死」につながります。話とはある武士が武道の達人に入門したが、一年経っても下働きばかりで技を一つも教えない、そこで先生に教えてくれとじか談判したところ、次の日から、どこからともなく薪がとんでくる、最初のうちは何度も体に当たってしまったが、知らないうちに四方八方に気を配るようになり、避ける事ができるようになっていた。つまり「しらないうちに臆病になっていたということです」「気配」を感じるようになっていたということです。これを読んだ時「気配」を感じる訓練を子供のころからやっていたのに気がつきましたので書いてみます。私は子供の頃、高崎市の観音山の続きの山の近くに住んでいました。観音山はマムシの宝庫です。このマムシの多い山が私の遊び場所で、冬は小鳥獲りやウサギ狩り、春はタラの芽とりやワラビとりをして過ごしました。春から秋にかけてはマムシには常に注意が必要です。マムシは人が近づくと動きませんので踏んづけることも多いし、保護色で見つけにくいヘビです、マムシのお陰で運動神経も飛びぬけて良くなり、体育は得意な科目でした。そして知らないうちに四方八方に気を配るようになり、避ける事ができるようになっていました。ちなみに、隣に住んでいるご主人は観音山でのワラビとりでマムシに噛まれたのは地元では有名な話です。私はいつも篠の棒を持って歩いていましたので、マムシにあってもすぐに対応できました。ウサギの存在を犬より早く見つけたこともありました。山の中で周囲の様子はほとんど把握する能力を身に着けていたということです。今思えば良い訓練をしていたものです。しかし、今の私は観音山のマムシの恐怖からは縁遠い生活ですから、達人に一番近かったのは中学、高校時代という事になります。現代生活において、こんな訓練をする変わり者は皆無でしょうから、独自に訓練法を考える必要があります。まずは日常生活や仕事、勉強において常に「臆病」になることが第一歩であるとおもいます。  

いにしえをかんがみていまをてらす。(里見治平)書