長野地域と箕郷地域は戦力的には弱体な地域です。1333年の鎌倉責めまでは周囲から攻撃を受けることはあまりなかったのですが、室町時代には関東管領の上杉氏の影響下におかれ、戦国時代は武田勢に蹂躙され、そして北条勢に蹂躙され、その後、織田、豊臣、徳川とやられっぱなしの地域でした。今でも敵が来たときの砦がそのまま残っています。その隣に武田菱の家紋をつけたりっぱなお寺現存しています。力の弱い八幡神社や八坂神社は諏訪神社に変わったまま現在に至っています。郷土を守るはずの榛名神社には武田信玄が戦勝祈願し、矢を立てたと言われる矢立杉が神社のシンボルの一つになっています。長野地域の烏子稲荷も、武田信玄が戦勝祈願したと語り継いでいます。当時の情勢は生き残るために神社もお寺も武田勢になびいたところは生き残り、立ち向った人はこの地域から逃亡しています。私の道場で稽古をしていた長野氏の子孫は長崎まで逃げたそうです。入会申し込みで確認しています。私の知っている下田氏の本家は赤城方面に逃げています。強い者には巻かれるのも処世術として有効なようです。とはいうものの、武術の最高峰、日の本一と言われ、た「上泉伊勢守信綱」はこの地域を支配した長野氏の家臣であることが不思議です。