山岡鉄舟書 無の境地を表現しています。左の雁は墨渓「富岡市の江戸時代の絵師」

 幕末の江戸城無血開城時、駿府に徳川慶喜の命で山岡鉄舟は官軍側の西郷隆盛に会い、事前交渉を行い。その後、西郷隆盛と勝海舟の江戸百万市民の命を救う会談に進展しました。鉄舟の無刀の心が西郷の心を打ったからと言われています。その後、勝海舟、西郷隆盛の会談は(相抜け)相抜けとは、両者立ち会い、平気にて相争うものなき」として戦うことなく無血開城に至りました。つまり、大政奉還です。現代に置き換えると原爆を所持していても実際には使えない。使ったらその国は終わるからです。いかにして戦わないか、隣国の動きが騒がしいですが、互いの実力「日本にも対抗できる力」を知らしめて納得させ 平らにする山岡鉄舟の(相抜け)の極意が試されています。