烏川原での決闘は樋口又七郎が念流秘太刀の体中剣の構え「体中より太刀の生じたように構える」、村上天流は振り出し剣を正眼に構えた。天流は又七郎の太刀がわずかに上段に移った瞬時に、気合もろとも大きく踏み込み、胴を払った。がしかし、又七郎の剣が上段から降りてきた。とっさに天流は面上の枇杷の木刀を受け止めたが、大岩をも断ち切る又七郎の剣は天流の太刀を砕き、そのまま脳天を十字に割ってしまった。ということです、テレビの時代劇のようにチヤンチヤンバラバラと長い時間の闘いと違い、勝負の時間が少ないことに気づきませんか、細かな技術を超えたものが、大岩をも砕く、体、中、から出てくる、剣「体中剣」です。現在も馬庭駅、山名八幡宮の近くに割れた大岩が鎮座しています。素直な人はすごいと思うし、私のような人間は「本当?」伝説は後から創られるのかなと思いますが、榊原鍵吉の兜割りは明治の話ですし、居合の人達は大上段から濡れたござをを真剣で真剣に切っていますので「体中剣・体の内部の流れの剣=私の勝手な解釈」なら可能かもしれません。