安政の遠足で有名な安中藩に海保帆平と言う武士がいたことを知る人は少ないかもしれないが14歳の時に江戸に出て玄武館道場〔北辰一刀流千葉周作〕に入門した。入門後19歳で大目録免許皆伝と門弟6千人の中で異例の速さ5年で得てしまった。その後、徳川斉昭に気に入られ水戸藩の弘道館の師範に迎えられた。しかし、実際は水戸には鈴木派無念流があり、無念流から独立した不二心流の中村一心齋という70余歳の達人が水戸藩を訪れた際に試合うこととなったが二十代の帆平がまったく試合にならず、気後れ状態のまま負けてしまった。竹刀を振ることが無く、「野球でいったら、三球三振、しかも一回もバットを振らないで。」これをきっかけに帆平はますます精進し日本を代表する武道家と言われる人になったという人です。中村一心齋と言う人は、日本剣道史の著者の山田次郎吉先生が他の武道家と比べると次元を超えた達人であったと太鼓判を押した人物です。富士登山で開眼した武道家です。