禅の悟りは心から心へと伝えられるため「不立文字・文字では表現できない」そうですが、合気道は体から体へと伝えられると師から聞いたことがあります。植芝開祖の受けを何回もとることで奥義を悟れということです。しかし、現在では植芝開祖の受けはとれませんので「小糠三合(100)を持つ力があれば合気道はできる」といった謎めいたことばを元に再構築しなければなりません。力を感じない力は必ずあります。そしてそれを稽古しています。「つまり氣じゃよ」の言葉が一人歩きして「氣」の支持者も多く存在するようですが、力を感じないうちなる力が小糠(米ぬか)三合の表現だと私は解釈しています。