合気道の本となった大東流合気柔術は清和源氏の武術を起源としたという説が一般的に言われていますが、合気柔術の価値を高めるための創作だと考えられています。ウキペディアでは会津藩内で佐藤金右衛門が「御式内」を教えた。最近、国会図書館が公開した「活殺自在気合術」には、気合術は気合(有心)と合気(無心)がある。昔から修験や忍者によって受け継がれてきた。隣村の修験道易者中川万之丞が惣角に教えた。護身術の柔術。「気を長く鍛錬する合気柔術ではない。」戊辰戦争後、武田惣角の隣に住んだ西郷頼母が、大東流の名前を与えたとしても、身長140センチで武術の達人ではないことが、立った写真で証明されている。武田惣角が柔術に気の力を導入して合気柔術を創始した。この内容で会津坂下町郷土学習副読本の人物紹介武田惣角は修正されている。明治戸籍で武田姓になり、身分は農、幕末は竹田姓で、先祖が甲斐武田から来た史実は否定的な証拠がある。とのこと。合気道は植芝開祖が国内の武術の極意をまとめ、創意工夫し和合、調和、愛等を取り入れて新たに開いた武道だと私は考えています。私の道場ではただ教授された合気道をなぞるだけではなく開祖の武産合気(たけむすあいき)の精神にのっとり新しい合気武道を求めています。

