

右「我善養吾浩然の氣…われよくやしなうわがこうねんのき」
宇宙に遍満する正しい氣をわが身に取り入れる。
鎌倉時代の武士道精神は京都の貴族達の優美で洗練した温雅優美な女性的な風に対して禅の神秘思想と俗事からの孤絶が武士道精神と通じるため大いに栄えました。禅を通じて水墨画のなかに宇宙空間上の無意識を描き出すことは、武道の極意である無の境地、明鏡止水に通じることです。修行により無我の境地になることが理想ですが、なかなか難しいことです。ただし、無我夢中になることはよくあることです。例えば、下位の相撲力士が大関や横綱に勝利した時にどのように勝ったか記憶にありません。と答えることが多いのは無我夢中の中で自然に体が動いたためです。常時無我の境地になれれば攻撃相手のきざしを読むことができるようになるそうですが。日頃の雑念を一時忘却しリフレッシュする場として非日常の空間である道場での稽古は浩然の氣を養う理想の場所と思われます。
今、軽井沢の別荘に季節外れの別荘族があふれているようです。これは俗事からの弧絶ではなくコロナからの弧絶のようです。