千利休が大成した茶の湯では、5人くらいの客を相手に亭主は1人、4時間くらい、その間は絶対に娑婆(現実世界)は忘れさせ、主客とも心を裸にして打ち解ける場を創ること、これが“もてなし”の根本だそうです。演出の小道具として懐石や濃茶、薄茶がある」「食習慣に於ては潔癖症の日本人の食事作法とは異質な回し飲みは革命に近い出来事、まさにバサラ。当時武将達に刀をはずさせ同じ茶碗で同じ飲み口よりお茶をいただく、気持ちがほぐれて本音が覗く。利休の薦めたこの茶の湯の作法は、千利久の先祖が清和源氏につながる上州武士(里見流)から来ていると私は考えています。祖父は足利義政の家来(同朋衆で備品納入係)で父の代から商人に転じています。商人にしては常に態度が上から目線で判断力と想像力に優れ、秀吉の信任を得て政治にも関与したと思いますが最後は逆鱗に触れて切腹を命じられました。