

日本人は「死」を大前提として、限りある生のなかで如何にして自分はこの生を意義のあるものにしていくか、公のために尽くすことが出来るか、という「死」を重んじた精神性を有している。一方で、中国人の精神性は「まだ生について理解できていないのになぜ死を理解できるか」と正反対。そのため生を理解するために生を謳歌しよう、という発想が出てくる。「死」という限られたゴールがあるのであれば、それまでに生を堪能しようという考え方となる。こうした論語的な発想があるからこそ、中国では「いまが良ければそれでよい」「自分あるいは家族が良ければそれでよい」という自己中心的な価値観や拝金主義がはびこる原因になったのではないかと考えます。「死」を前提とし、「いかにして公のために」という日本人的な発想とは根本的に異なっている。日本人とくに武士にとっては「死」が日常生活と隣り合わせであり、常に死を意識しながらの生活であった。その「死」が念頭にある生活のなかで、いかにして人間は生の意義を最大限に発揮していくのか、それが日本人の精神性に大きく影響している。今日の日本人の全てに備わっている素養とは決して思いませんが武道をたしなむ人は新渡戸稲造の「武士道」を一読することをお勧めします。