思いやりという心をもった人が少ないと感じる。厳しい競争社会においては「思いやりの心をもつ」などと言うことは、お人よしか恵まれた人しかできない、そんなことを続けていたら気がついたら自分がほどこしを受ける立場になっているのが現代社会といえる。親のスネをかじっている高校生や大学生までは天使の心でいられても一旦社会に入ればそれどころではない、そして知らぬまに極度のエゴイストに変身していく、人間は自分の生活の安寧が保障されて初めて聖なる心が正面に出てくる人がほとんど。「衣食足りて礼節を知る」とは上手く表現したもので、古の人の諺には感心する。「思いやり」とは相手の立場に立って考える、自分が先方の立場にいたらどうであろうかということを考えることです。「思いやりの心を持つと言うことは人間の進化向上のキーワードです」森羅万象全てのものに思いやりの心を持つことは即ち「宇宙は完全になることを宗として常に進化向上している、それは宇宙の一部でもある人間も含めて」と一致する。合気道の相手に合わせる、合する武道とも共通する部分と言える。合気道なら稽古を通じて思いやりの稽古や〔小宇宙である〕体の法則を学ぶことができます。最小限合気道の稽古の間だけでも「思いやり」の時間をもって欲しいものです。正道である自他共存共栄の人生観を持った人達の増加は自己中心主義の人達を駆逐し、もっと生きやすい社会がやって来るかもしれません。