
かつて「つまり氣じゃよ」の言葉は古武術愛好家には神秘的で魅力的な言霊として受け止められてきましたが曖昧模糊とした氣の世界はいろいろな誤解を生んで来たと言われます。練丹を重視する氣の養成論や氣で相手を倒すことは「あこがれ」ですが、現代における武術論は物理的、科学的な論点で体術(身体力学)を追及することが必要とされていると思います。忙しい現代では、昔風の見取り稽古中心の稽古には限界があります。和風料理でさえ料理を数字に置き換えて簡潔に伝授する有名な料亭の主人も現れています。
神秘的な世界は地に足がついた理論の稽古の延長上にあると思います。氣についての具体的な解説はできませんが軌(き)の解説はできます。合気道の動きの多くが軌道です。