2月に入ったあたりから持ち物の整理を始める。

これから先に持っていくものとそうでないものを選別しはじめる。

我ながら思い切ったことをしたかもしれないと思う。

部屋の中がより洗練された様子に変わっていく。

ミニマリストを目指しているわけではない。

シンプルにノイズを減らしたいだけ。

 

3月に入ると蔵に仕舞い込まれたままのモノの整理を始めた。

ほとんどが平成初期頃までの時代を感じさせるものだった。

貰い物、引き出物といった、結局使われることがなかったモノたちもいた。

自分からしてみれば、そんな時期もあったんだなと思う程度。

問答無用でゴミとして仕分け、まとめていく。

そこにあったモノの思い出は、次の世代には届くことはない。

 

少しでもお金に換えようかなとフリマアプリを使ってみたりもした。

似たようなものが売れ残っている形跡もある。

出品して、やりとりして、梱包して・・・

次第に何かが違うなと思うようになる。

 

そして考え方が変わる。

無理に引き取り手を探して循環させようとするのはやめよう。

最後に行き着く先は同じかもしれない。

だったら、ここで断ち切ってしまおうと。

残されたものを引き継いでまで、自分たちのことを後回しにする必要はない。

 

供給の多くなった時代のものは、潔く処分することを選んだ。

 

「これ、いりませんか?」というのをやめよう。

「こういうの、ありませんか?」というのに答えよう。

 

モノが多すぎる世の中だからこそ、じっくり選ぶ必要があるんじゃないかなと思う。

 

それが”贅沢”というものなのかもしれない。

 

 

Geminiにモヤモヤする疑問に答えてもらったよー

わたしは書いていない!そう、書いていないんだ!!

 

最近、SNSやブログ、YouTubeを見ていて、ふと「これってどうなの?」って思うことがあるんです。

それは、有名人のニュースが出た直後に投稿される 「〇〇さんの命式、占ってみました!」 という記事。

「やっぱり星に出てました」「この時期はカードが悪かったです」なんて解説をよく目にしますが、正直なところ……。

「それって、結果がわかってからの後出しジャンケンじゃない?」

……なーんて、モヤモヤしちゃうんですよね(笑)

■ 「都合のいい解釈」への違和感

もちろん、占い自体を否定したいわけじゃないんです。 でも、すでに成功している人や、世間で騒動になった人を後から占って「ほら当たってる」と言うのは、なんだか「後付けの答え合わせ」を見せられている気分。

これって、占いというより「すでに完成したパズル」を都合よく説明しているだけに見えちゃう。 本人がいないところで勝手にレッテルを貼ってしまうのも、なんだか危ういなと感じるんです。

 

■ 「レッテル貼り」の怖さ

特に「この星(カード)があるから、この人はこういう性格だ」と断定してしまうのは、一歩間違えればただの決めつけ

不特定多数に向けた発信だと、どうしても「わかりやすさ」が優先されますが、生年月日やカードだけでその人の人間性を型にはめてしまうのは、少し強引すぎる気がするんですよね。

占いが、誰かをジャッジしたり、ステレオタイプに押し込めたりする道具になってしまうのは、少し寂しいなと思うんです。

 

■ 占い本来の「良さ」ってなんだろう?

じゃあ、どんな占いなら納得できるのかな?と考えてみたのですが。 個人的には、過去のこじつけではなく「未来への予測」として発信されているものなら、いいなと思うんです。

  • 「この先、こういう流れが来るかもしれない」

  • 「今はこういう時期だから、こう備えると良さそう」

といった、これから先の可能性を提示する形。 外れるリスクを承知で未来を語る方が、後出しジャンケンよりもずっと誠実だし、占い本来の「羅針盤」としての役割を果たしている気がします。

 

■ 最後に

占う側が、対象を「数字稼ぎのネタ」として消費するのか。 それとも、一人の人間としてリスペクトを持って向き合うのか。

その境界線が、読み手に伝わる「納得感」の差になるのかもしれません。

皆さんは、最近の「有名人占いブーム」、どう感じていますか?

※カバー画像には生成AI画像を使用しています。

 

歯医者との付き合いは長い

 

高校生になるまで歯磨きなんてまともにやった記憶がなく

治療してない歯は無いんじゃないかってくらい通っていた

つまるところ治療のプロ(施される側)である

 

歯並びが悪かった訳じゃないけど

大人になってから歯列矯正も受けた

これは治療も含めて5年くらいかかった

 

通っていた歯医者は幼少期からずっとお世話になっていて

リニューアルや増築、代変わりといったものも見てきた

だけど、ある時を境に通うのをお休みすることにした

 

人が機械のように対応していく歯医者になっていってる気がする

そんな気がしていた

 

国が定期検診を勧めるようになったこともあって

歯医者の中ではシステム化が進んでいく

 

時間で区切られ、時間内に治療は終わる

プライバシーの観点からか番号で管理され

案内板通りに移動をする

 

担当者とのやりとりも極力スマート

時間という制約がある以上

話しかけたくても話しかけることに難しさを感じていく

 

忙しなく動く先生や歯科助手、スタッフの方々

徐々に安心して通える歯医者とは思えなくなっていった

 

時代の変化に適応できていないと言うこともできるけど

私の中で何かの整理がつかない限り

同じ歯医者を再び訪れることはないかもしれない

 

 

〜余談〜

私は医者にかかるのがあまり好きではない

流石にマズいよなーって思える状態だと判断すれば行くんだけど

基本的に丸一日休めば回復してしまう都合の良い体をしていた

38度を超えるとようやく痛みによる状態異常を検知する

それまでは基本気が付かないレベル

むしろかえって調子が良いこともあった

普段から体に力が入りすぎていたんだろうなと思う