春といえば  カブ 

 

あまり好んで買うことがない食材

 

ゲーム「牧場物語」では序盤からお世話になる食材

 

そんな食材でも料理本を眺めていると

なぜだか食べてみたくなる

 

今回眺めていたのはこちらの本

 

確かこの本にはグリルでの調理方法が載っていたと思う

(記憶違いだったらごめんなさい)

 

我が家のグリルは故障中

なので、オーブンでの調理方法を検索してやってみた

 

 

カブのひげ根部分を切る

茎部分は少し残す

4当分に切る

よくわかんなかったから皮もむいた

(皮ごとでいいらしい)

 

天板にクッキングシートを敷く

塩とオリーブオイルを適当にかける

180°に予熱したオーブンで30分

(焼きすぎたらしく周りの繊維が硬くなって噛み切りにくくなった)

 

茎の部分は軽く炒めた

贅沢アワビオイスターソースで味付け

 

ベーコンはフライパンで焼いた

カブの味、堪能できました

 

 

 

2月に入ったあたりから持ち物の整理を始める。

これから先に持っていくものとそうでないものを選別しはじめる。

我ながら思い切ったことをしたかもしれないと思う。

部屋の中がより洗練された様子に変わっていく。

ミニマリストを目指しているわけではない。

シンプルにノイズを減らしたいだけ。

 

3月に入ると蔵に仕舞い込まれたままのモノの整理を始めた。

ほとんどが平成初期頃までの時代を感じさせるものだった。

貰い物、引き出物といった、結局使われることがなかったモノたちもいた。

自分からしてみれば、そんな時期もあったんだなと思う程度。

問答無用でゴミとして仕分け、まとめていく。

そこにあったモノの思い出は、次の世代には届くことはない。

 

少しでもお金に換えようかなとフリマアプリを使ってみたりもした。

似たようなものが売れ残っている形跡もある。

出品して、やりとりして、梱包して・・・

次第に何かが違うなと思うようになる。

 

そして考え方が変わる。

無理に引き取り手を探して循環させようとするのはやめよう。

最後に行き着く先は同じかもしれない。

だったら、ここで断ち切ってしまおうと。

残されたものを引き継いでまで、自分たちのことを後回しにする必要はない。

 

供給の多くなった時代のものは、潔く処分することを選んだ。

 

「これ、いりませんか?」というのをやめよう。

「こういうの、ありませんか?」というのに答えよう。

 

モノが多すぎる世の中だからこそ、じっくり選ぶ必要があるんじゃないかなと思う。

 

それが”贅沢”というものなのかもしれない。

 

 

Geminiにモヤモヤする疑問に答えてもらったよー

わたしは書いていない!そう、書いていないんだ!!

 

最近、SNSやブログ、YouTubeを見ていて、ふと「これってどうなの?」って思うことがあるんです。

それは、有名人のニュースが出た直後に投稿される 「〇〇さんの命式、占ってみました!」 という記事。

「やっぱり星に出てました」「この時期はカードが悪かったです」なんて解説をよく目にしますが、正直なところ……。

「それって、結果がわかってからの後出しジャンケンじゃない?」

……なーんて、モヤモヤしちゃうんですよね(笑)

■ 「都合のいい解釈」への違和感

もちろん、占い自体を否定したいわけじゃないんです。 でも、すでに成功している人や、世間で騒動になった人を後から占って「ほら当たってる」と言うのは、なんだか「後付けの答え合わせ」を見せられている気分。

これって、占いというより「すでに完成したパズル」を都合よく説明しているだけに見えちゃう。 本人がいないところで勝手にレッテルを貼ってしまうのも、なんだか危ういなと感じるんです。

 

■ 「レッテル貼り」の怖さ

特に「この星(カード)があるから、この人はこういう性格だ」と断定してしまうのは、一歩間違えればただの決めつけ

不特定多数に向けた発信だと、どうしても「わかりやすさ」が優先されますが、生年月日やカードだけでその人の人間性を型にはめてしまうのは、少し強引すぎる気がするんですよね。

占いが、誰かをジャッジしたり、ステレオタイプに押し込めたりする道具になってしまうのは、少し寂しいなと思うんです。

 

■ 占い本来の「良さ」ってなんだろう?

じゃあ、どんな占いなら納得できるのかな?と考えてみたのですが。 個人的には、過去のこじつけではなく「未来への予測」として発信されているものなら、いいなと思うんです。

  • 「この先、こういう流れが来るかもしれない」

  • 「今はこういう時期だから、こう備えると良さそう」

といった、これから先の可能性を提示する形。 外れるリスクを承知で未来を語る方が、後出しジャンケンよりもずっと誠実だし、占い本来の「羅針盤」としての役割を果たしている気がします。

 

■ 最後に

占う側が、対象を「数字稼ぎのネタ」として消費するのか。 それとも、一人の人間としてリスペクトを持って向き合うのか。

その境界線が、読み手に伝わる「納得感」の差になるのかもしれません。

皆さんは、最近の「有名人占いブーム」、どう感じていますか?