強烈な青春の体験談です。 | 天理合気道

天理合気道

大変身!大開運!大発展!

私は、この合宿体験のお陰で、男として劇的に成長することができたと思っています爆  笑

 

【1日目】

 1979年、天理大学入学と併せて寮生活をするため、4月1日から3泊4日で入寮オリエンテーション合宿に参加しました。

 

 杣之内ふるさと寮南寮と北寮の間に大きくて古い木造建築があり、2階に「ふるさと講」という天理大学の神殿があって、その前が「楼上」(道場と思ってました)と呼ばれる大広間でした。

 新入生19名が楼上に案内されて、3泊4日の入寮オリエンテーション合宿の開始までいくらか時間があるので初対面の1回生同士で雑談をしてました。

 オリエンテーション合宿の手書き印刷の冊子を見たら、寮のスローガンや寮長先生や舎監先生の名前、学生の幹事と委員の名前、寮歌の1番から5番までの歌詞などが載っていて、スケジュール表には起床から3度の食事、入浴、就寝に加えて寮歌練習、ソフトボール、ハイキング等々男ばかりでも4日間楽しそうな内容でした。

 

  ・ ・ ・ そして2時の天理教のサイレンが鳴り終わると同時に1階から「オリャー」と叫んで何者かの集団が駆け上がってきて、凄い勢いに何が起こっているのかわからず圧倒されている1回生が部屋の隅に追い詰められました。

 集団はオリエンテーション委員の先輩(3回生6人、2回生2人)で、みんな暴走族やチンピラの格好をしてました。

 それから1回生が部屋に均等に並べられて正座させられます。

 「1回せーい」 「・・・」 「返事は!」 「ハイ」 「何じゃ!その声は!」 「ハイ」 「しっかり声出せー!」 ようやく大声で「ハイッ!」、こんな感じで正座のまま何百回か返事の練習、続いて挨拶の練習に入りました。

 先輩が部屋に入ってきたら「こんにちは!」、出て行ったら「失礼します!」を頭を低く下げて大声で挨拶することを徹底的に練習させられました。

 

 夕食の時間になって1階にある食堂に行く途中、階段や廊下の角に先輩が立っていて、ここでも「こんばんは!」「失礼します」と一人の先輩が「行け」と言うまで何十回も挨拶して、何十分もかかってやっと食堂にたどり着きました。

 食堂でも先輩の机(奥から4回生で学年別に4列)のお茶やお櫃を換えたり色々しきたりがありますが、これらはこの時ではなく入寮してから2回生に教わったと記憶してます。

 1回生全員と委員の先輩が席に着いたら(合宿中は幹事と委員以外の先輩とは一緒になりませんでした)総務委員と副総務委員が入り口の扉の横に立ちます。

 しばらくして、その2人が扉をバーンと開くと、総務幹事を先頭に5人の幹事(この中に小嶋先輩もおられました)が堂々と入場、全員立ち上がって委員は普通の声で1回生は大声で「こんばんは!」です。

 食事が終わって幹事が出て行くときはこの逆で、2人の委員が扉を開けて全員で「失礼します!」とやります。

 4回生がめちゃくちゃ偉い存在であると思わせる物凄い演出でした。

 ここから4回生は「神様」、3回生が「人間」、2回生が「奴隷」、1回生が「虫けら」という上下関係が刷り込まれていきます。

 私は、この光景を見て自分も絶対に総務幹事になろうと決めて、3年後に実現しました。

 

 夕食が終わって、「こんばんは」「失礼します」を何百回としながら遠い道のりで2階の広間に1回生全員が辿り着いた後は、入浴時の指導がありました。

 脱衣場の出入り、浴室の出入りの大声挨拶はもちろんのこと、風呂の湯加減を見てお湯をかき回す等ありますが、特に先輩の「お背中流し」がメインでした。

 「先輩、お背中を流させていただきます」→「オゥ」→「どうもありがとうございます」と言ってタオルに石鹸をつけて力いっぱい背中をこする。先輩が「もうええよ」→「どうもありがとうございました。お湯をかけさせていただきます。お湯加減はいかがでしょうか。」と言って、湯の熱さを確かめてから綺麗に流す。 ・ ・ ・ こんな具合で指導され、広間で少し練習してから、またまた長い道のりで1階の風呂場で実践、定員20名くらいの浴室にいる先輩全員の背中を流すように教えられ、入寮後はそのようにすることになりますが、合宿時は混み合うから2~3人だったかと思います。

 

 寝る前に1時間くらい寮歌の指導がありました。

 先ずは見本として委員の中で応援団の先輩が、「ナンリョー、リョーカァ~オリャー」と始まり、「新月ここに南さす寒梅の香のほのぼのと~」と吟詩部の先輩が唄われ、声の美しさと歌の上手さにびっくりしました。

 初めは歌詞を見ながらで、音痴でも怒られませんが思いっきり声を出していないと何回もやり直しです。

 嫌でも1番の歌詞は覚えましたが、明日まで5番まで覚えろとのこと。10番まであるけど(ウソ)5番までで堪忍しといたるから絶対に覚えろと言われて、消灯後は非常ベルの赤いランプで歌詞を見て覚えました。

 

 18年間生きてきて最高に強烈な1日を体験して眠りにつきました。

 

【2日目・3日目】

 2日目の朝、1回生が一人減ってました。夜中に荷物をまとめて夜逃げしたようでした。

 ちょっと羨ましい気持ちもありましたが、これから4年間の大学生活で「逃げ出した奴」と負い目を感じて過ごすのも嫌だと思いました。

 

 2日目からも1日目と同じように何千回もの挨拶練習と寮歌練習で1回生全員声がつぶれてました。2日目か3日目のどちらかでしたが、早朝ランニング、ハイキング、ソフトボールがありました、

 

 早朝ランニングは、南寮から豊井寮、豊田寮、三島寮と3箇所の女子寮を回り、それぞれの寮の外側から「豊井寮のお姉様方おはようございます」→「オラオラ~お前らの声が小さいから誰も顔出してくれへんがな~」(実は、女子寮でも無視するように指導されてます)、10回くらい同じようにやって、3箇所とも結局反応ありませんでしたが、私はワクワクドキドキしてめちゃくちゃ楽しかったです。

 

 ハイキングは、山之辺の道を委員の先輩について1時間くらい走ったり歩いたりで「どこがハイキングやねん!」という感じでした。

ソフトボール大会といってもプレーした記憶がなくて、1回生はボール拾いと打順が次の先輩にバットを渡す役目、それとひたすら大声を出して先輩方の応援でした。

 

 そして寮歌練習では、寮の裏にあった池の畔ギリギリに立たされ、声が小さいとか歌詞を間違えたりしたら後ろから押されます。

 3回生の委員が「泳ぐな!キケン」と子供が溺れている絵が描いてある看板を指差して「俺は2年前に落とされてこうなったんじゃあ~」と言って、笑いをこらえるのが大変でした。

 

 1回生にとって本当に厳しい4日間で先輩はめちゃくちゃでしたが、ただ、朝・夕の「ふるさと講」の「おつとめ」の時は大声を出さなくてよかったし、やんちゃそうな委員の先輩も神妙な顔で真面目に「おつとめ」されていて安心しました。

 私にとってはほんの少しの安らぎの時間でしたが、何人かいた天理教関係でない1回生にとっては天理教の神事が余計に不気味に感じたかも知れません。

 

 委員の指導は徹底的に上下関係を叩き込むものであり、理不尽だらけで現在では考えられない訓練だったと思いますが、厳しい言葉の中で何回も何回も「お前ら仲間やぞ!」と言われ、1回生同士の団結心を高める目的も感じました。

 

【4日目】

 4日目は、朝の「おつとめ」、朝食の後、寮の清掃作業で初めて合宿所であった広間と渡り廊下で繋がる鉄筋コンクリート4階建てに入りました。

 天理教関係の施設はどこでも綺麗に掃除が行き届いてますが、ここだけは2月から全く掃除されていない上に、卒寮生が置いて行った不用物も大量に残っていて、今回の清掃訓練のためにわざと汚したみたいな所でした。

 またまた3回生の委員が、「俺は2年前に便器を舐めさせられたんじゃあ~」とのこと。

 便所、炊事場、廊下、階段をピカピカにするように指示されました。

 委員も一緒に掃除してましたが、あっちに行ったり、こっちに来たりするので、「こんにちは」「失礼します」と挨拶するために、いつも気を張っていないといけないから大変でした。

 

 掃除が終わって、いよいよ合宿の終盤ですが、「最後にお前らの蒲団を庭に敷き詰めて4階から飛び降りてもらう」とのこと。

 一瞬驚いたものの何かできそうな気がしました。

 この時は不思議と自分は「何でもできるぞ!」という訳がわからない自信に満ち溢れてました。

 実際は4階からスローダウンで降りる避難訓練でした。

 

 合宿日程が全て終了し、最後に委員の先輩から、ごくろーさん挨拶と幹事の先輩から部屋割り、同室者の発表があって、3泊4日の入寮オリエンテーション合宿が終了し、新入生18名がめでたく南寮生となりましたお祝い

 

上矢印私が2回生になって、オリエンテーション委員をさせていただいた時の写真で、合宿終了時に学生服を着て撮影しました。私服は4回生幹事の先輩です。

初めての後輩達である新入生と共に撮影です上矢印

私は前列左端、最後列の左から3番目が共に合気道部を創部した2代主将の田中稔郎(現大和会会長)、そして右から3番目が合気道部2代の西原勝雄です。