必ず残すべき伝統 | 天理合気道

天理合気道

大変身!大開運!大発展!

現在、合気道部が稽古している道場へ行くと、いつも自転車が約20台は駐輪されているのを見て、1~2台しかなかった頃を思い出したら本当に有難いです。


10年前、部員の激減によりクラブの存在が危うかった時期があります。


平成21年の2月でしたか?部を立て直すために大和会役員と当時の監督、コーチが天理教雨龍大教会詰所に集まって会議を開きました。


その時に私から東原監督に代わり、私は実質コーチみたいなものですが格下げは可哀想ということで総監督となりました。


この年の春合宿から1年近く、森谷コーチが合宿の段取りまでして、現役の主将や主務の仕事をして非常によく支えてくれました。


高校1年生になったヒロキがスポーツの非常に盛んな高校に進学しながら、そこの部活に入る代わりに天大合気道部の稽古に通うことになり、せっかく来てくれても当時の現役部員で先輩として彼に合気道を教えられる者がいなかったので、私も退社後に極力休まないやように道場へ通いました。


平成21年は関西、全日本学生大会における天理の入賞は皆無でしたが、京都で開催された国際大会では、女子個人戦チャンピオンになった山本理絵をはじめ大和会メンバーが大活躍し、演武競技「基本技17本」無段の部において2回生の水畑とヒロキのコンビが優勝するなど、天理としては好成績をあげることができました。


そして、水畑が関西学生新人戦で個人戦優勝し、翌年から2年間(30代、31代)主将を務め、平成23年の全日本学生大会において個人戦チャンピオンになったことから常勝天理復活の兆しが見えはじめ、また、ヒロキが平成26年から2年間(34代、35代)主将を務め、平成27年秋には全日本学生大会男子団体戦を14年ぶりの優勝に導いたことで天理大学合気道部はほぼ復活しました。

 

 

 

OBの支えや少なかった現役部員の頑張りで何とか盛り返しましたが、幹部が機能しなくて森谷コーチがかなりフォローしてくれたものの代から代へ受け継がれなかったために合気道部創部当初からの多くの伝統が消えました。現在の学生に合うもの、合わないもの、良いもの、良いとは言えないものがありますが・・・


その中には「天理大学逍遙歌」や「合気道部部歌」をはじめ「宴会のしきたり」「合宿先への行き帰りのバス中の行事」「滝浴び」「山中や古墳における訓練法」「他のどこの大学生よりも豪快であること」等々色々なものがあります。


ここ最近のこと、「逍遙歌」を部員みんなで唄うことを復活させようとしましたが、現役の嫌々唄わされている感が強くて、私個人としては諦めました。


みんなで唄うことで団結心が強まり、愛校心が高まれば非常に素晴らしいですが、昔は天理大学に応援団がいて、どこのクラブでもコンパの最後に唄うしきたりがありましたが、そんなもの今はなくて唄う機会がほとんどありません。


それから私が卒業して何年後かに「天理大学校歌」なるものができましたが、ほとんどの学生はどちらも知りません。


そして、3年ほど前から天理中学校や天理高校の校歌となっていて、天理教内では広く知られている「天理教青年会歌」が「天理大学学歌」に制定されました。


そんなこんなでちょっと寂しいですが、「逍遙歌」はもういいかと思ってしまいました。


伝統はこんな感じで消えていくことも多いですが、必ず後世に伝えていかなければならないこともあります。


師範が誉めてくれた天理大学合気道部の伝統です。

 

 

1 圧倒的なスタミナ
※ 審査内容が非常に多くて過酷な三段の審査において、他の受験者がフラフラになっている中、山本理絵(28代主将)だけは最後まで平然としていた。


2 怪我をしないから安心して見られること
※ ○代主将が学生大会の乱取試合において、他大学選手に豪快に投げられまくってゴールド負けしたが見事に受身を取って全く怪我をしなかった。


3 美しいファイティングスタイル
※ 天理大学の選手は昭道館合気道の基礎となる単独、相対基本動作の徹底により、形だけでなく乱取においても常に良い姿勢で闘っていること。

 

上記の師範が誉めて下さった3つのことはもちろん大切に残しつつ、いつでもどこでもしっかりと挨拶をして誰にでも好感を持たれる元気いっぱい!爽やかな天理であり続けたいと思います。