天理合気道 略史 | 天理合気道

天理合気道

大変身!大開運!大発展!

ブログの記事がちょうど500回目となりますので、記念して天理合気道の歴史を大まかに書きとめておきます

 
昭和55年5月、中学3年生から大阪市阿倍野区阪南町にある昭道館道場において成山先生に合気道を習っていた私(当時2回生)が現大和会顧問の小島先輩の後押しを受けて天理大学杣之内ふるさと寮南寮生を中心とした仲間を集めて天理大学合気道愛好会を発足、図書館横の芝生で稽古を開始しましたあし
 
 昭和57年9月、合気道を通じての海外伝道を会の目標に掲げていたことから、当時の伝道課長であった宮田昌紀先生の尽力により、イスパニア学科教授で南米伝道に造詣の深い上谷博先生が顧問となり、天理大学に同好会として認められました。
 
翌58年には体育総部に昇格し、同時に愛好会時代より指導を受けてきた日本合気道協会(当時)師範である成山哲郎先生を正式に合気道部師範として迎えました。
 
その後も多くの大会で素晴らしい成績を修めるなど部員達の努力により合気道競技界における天理の位置を確かなものとし、天理大学武道館において、昭和60年に第5回全国社会人大会、昭和61年、平成8年、平成23年に第17回、第27回、第42回の全日本学生大会、平成元年には海外から9カ国が参加して第1回国際合気道競技大会が開催することができました。因みに現在まで国内では7回の国際大会(内1回は平成25年の昭道館合気道世界大会)が行われ、乱取個人戦チャンピオン男子7名中3名(下地・東原・枝折)、女子5名中3名(西田・河村・山本)が天理大学の卒業生ですキラキラ
 
また、卒業生の中には国内外で合気道を指導している者も多く、5代の土屋理がパリで道場を開き、6代主将の西井(福嶋)英二が大阪にある関西本部道場に着任するなどの他、平成10年には12代主将の東原善一が縦の伝道の一環として天理合気道誠心会を発足して地元の子供達の指導を始め、平成11年にはアメリカやカナダで合気道競技の普及に活躍し、日本合気道協会国際部長(現在は昭道館合気道連盟国際部長)となった8代の遠藤関男が埼玉県上尾市で道場を開いて子供から社会人まで幅広く指導しています。
 
平成13年、地元天理市の生涯教育及び社会体育への貢献と底辺拡大を目的として、天理大学教授で合気道部部長である松尾勇先生を会長として天理市合気道協会を設立、天理市体育協会に所属し、平成14年から市民体育大会において合気道競技を開催しています。
 
平成17年より日本空手道青雲会宗家であり奈良県議会議員の藤本昭広先生(天理合気道会会長)の協力のもと19代主将の枝折がチームバーモスとして総合格闘技を中心に合気道や空手道などを指導していましたが、平成21年には本格的な道場を天理市内に開設しましたパー
 
現在、天理大学合気道部の現役及びOB(=大和会)の天理市内在住在勤の者、昭道館天理支部、チームバーモスなどで天理市合気道協会を構成し、そこに全ての天理大学合気道部の卒部生、また彼らが指導する道場(関東道場=上尾・誠心会=八尾・豊輪会・維新会)を加えて、大きく世界に羽ばたくという当初の目標をもって『天理合気道会』を結成しています。
 
そして、東原が天理大学合気道部監督に就任し、平成22年に現大和会会長である田中の号令によって天理合気道30周年記念祝賀会を盛大に開催することができました
 
実は、30周年の前後が過去最大の合気道部存続の危機でした。部員数が激減、部の体制を昭和の体育会から21世紀少年の自由な部活に変えるなどして乗り切り、監督、コーチ、現役幹部は本当によく頑張ってくれましたあせる
 
 
その後、平成24年には天理合気道を幼少の頃から身に付けてきた池田、25年には小学生から昭道館指導員の酒井や菅野、山﨑から乱取や形の技術を磨りこまれてきた津谷と八尾市の道場に来ていた東原監督の小学生からの愛弟子である野中が大学の天理アスリート推薦で入ってきて、女子は現在まだ1人しかいないという問題はあるものの、男子は個人戦のみならず団体戦でも優勝を目指せるところまで復活してきましたグッド!
 
今年の学生大会は関西も全日本も団体優勝してくれることをを楽しみにしています
 
 
今後とも大学合気道部のみならず天理合気道会の全てに対して御指導と御支援をよろしくお願いします