ゲルハルト・リヒター展を見てきました。

ドイツ出身の現代作家で、写真に絵具を載せる技法や

オリジナルのペインティングナイフ(スキージ)で

キャンバスの上の絵の具を、引っ張ったり削ったりする

アブストラクト・ペインティングが印象的な作家です。

「絵の具遊び」とも解釈できる筆致は

キャンバスを引っ掻く時に起こったであろう「ザリッザリッ」という音が

作品から聞こえてくるように生き生きとしています。

キャンバスの他に、板に直接描いた連作もあり

きっとキャンバスとは違う音を立てていたことでしょう。

 

私は美大を目指す画学生でした。

恥ずかしい事に、ほとんど美術しか勉強していません。

当時は出会う作家ごとに影響を受けていて、制作に燃えていた頃でしたから

作品から制作過程を想像できるリヒターのような作家は

イマジネーションの泉でした。

ウィレム・デ・クーニングやザオ・ウーキー等も、これに値します。

絵の具のハネ、滲み、垂れ…それらは全て、作家の作意(意識)を超えて

物質が勝手に動き出す現象(私はこれをカオスの地図と呼んでいた)なのだけど、

リヒターの作品には、作為的な無作為が見え隠れしているような気がしています。

 

またリヒターは、ドイツ人として第二次世界大戦を経験しています。

今回の展覧会には「ビルケナウ」という4点の作品群を中心とした部屋があり

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所をテーマにした空間になっていました。

実際に強制収容所で撮影された記録写真の上に、アブストラクトペインティングが施されており

その作品には写真の痕跡は見られません。

しかし、絵画の下層に使われた写真が、別プリントで並列されており、

実際に強制収容所で起きていた暴力が、暴露されているわけです。

私には、戦争の現実が、漠然としたイメージに塗り変わっている危うさを

訴えているように見えてしまいました。

他のアブストラクトは鮮やかな色彩なのに対し、ビルケナウに使われている色彩は

黒、白、赤、緑の4色だけ。これも非常に象徴的です。

ポップな表現にも積極的に挑んだリヒターの作品群の中で

ビルケナウは最も特徴的と言えるでしょう。

この部屋の正面には、大きなグレーのガラス板が展示されています。

このガラスには、作品とそれを見ている自分自身が映るのです。

作品を見ている自分を目の当たりにすることで

「ビルケナウ」を見た事実を強く認識する事になります。

インスタレーションとしても、かなり興味深い展示でした。

 

東京国立近代美術館の会期は10月2日まで。

豊田市美術館で10月15日〜2023年1月29日の日程で巡回します。

機会があればまた行きたい展覧会。