声優の楠木ともりさんがエーラス・ダンロス症候群と診断されたそうですね。



正直とても驚いています。


名前を聞いてどこかで見たことがあるなと思い調べてみたところ、「先輩がうざい後輩の話」のヒロインの声優さんだったことに気付きました。


大好きなアニメで、今でもオープニングをよく聞いているんです。

あの曲を聞いて「今日も頑張ろう!」って喝を入れていました。


まだ22歳なんですね。

まだまだこれからじゃないですか。

役もいくつか降板されたそうですね。

最近の声優さんは歌も踊りもされていますし、

難病と診断されるまでの間どんな気持ちで過ごされていたのだろう。

「受け止めきれない」というご本人のコメントを見て、そりゃ受け止め切れなくて当然だよって、現実味が湧かないに決まってるよって、

ボッロボロに泣いた。


壊れた蛇口の様に涙は止まらなくて、

嗚咽が漏れそうになって、

必死に声を押し殺して、

歯を食いしばった。


悔しい。

悲しいというよりは悔しい。


何故だろう。

何故、人は病気になるのだろう。


人として、この世に生まれてきて。

同じ時間を生きているのに。

何故。同じように生きることが出来ないのだろう。


どうして、病気になってしまったんだろう。


普通ってなんだろう。

平等ってなんだろう。


昨日まで当たり前だったことが、今日には当たり前ではなくなっていて、

もう二度と戻ることもできなくて。

それでも明日は訪れて。

同じ時間を生きていく。

変わったのは自分だけ。

周りは何も変わっていないはずなのに、おかしい。

全てが変わって見える。

当たり前のように生きていた。

当たり前のように朝起きて一日を過ごしていた。

何の変哲のない日常をこの先もずっと送っていくのだと思っていた。



想像したことがあるだろうか。


今こうしている間にも、どこかで涙を流している人がいるのだと。


誰かが笑っている時、誰かが泣いている。


平等なんてものはないのかもしれない。


私は悔しいです。

このやり場のない思いをどこに当てたらよいのでしょうか。


どうして人は同じように生きることが出来ないのでしょうか。

どうして、生きなければならないのだろう。

痛い。苦しい。

あとどれだけ耐えれば楽になれるのだろう。


どうすれば周りと同じようになれるのだろう。

当たり前に出来ていたことが今ではもう出来なくなっていて。

簡単なことさえも努力をしないと出来なくなっていって、

周りはどんどん先に進んでいくのに、

自分は前に進むどころか、沼にはまったかのように動けなくなって。

必死に足掻いて。抜け出そうとすればするほどはまっていく。

まるで蟻地獄のよう。


生きたまま沼にはまっていく。



私は思ったんです。


これが生き地獄なのだと。



私がさ。

ボッロボロに泣いたところで、誰かの心を癒せるわけでもないし、何の役にも立つことは出来ないんだけどさ。

本当に自分がクソみたいに無力で。何にも出来ないクズなのは分かってるんだけどさ。

それでもさ。

悔しくて涙が止まらないんだよ。


本当に理不尽だよ。

どんだけ悔しい思いをしたんだろう。

夢を追って、たくさん努力して、やっと声優になって役をもらえて、これからだって時に。

そりゃないだろ。

そんなの受け入れられるわけがないだろ。


仕事をセーブすればいい。

そんな正論聞きたくないよな。

そんなの知るかボケって叫びたいよな本当に。

どんな思いで降板されたか。

やっと掴んだ夢だぜ。

どんだけ悔しかったか。

自分以外が演じるとか。

そんなの嫌に決まってんじゃんか。


他人事に思えるわけがない。


ふざけんなよ。

なんで私がこんな目に遭わないといけないんだよ。

納得いくわけないに決まってんじゃんか。


だってそうでしょう。

なりたくてなったわけでもない。

難病になったからと言って、得するわけでもない。

毎日薬を飲み続ける日々。

定期的に通院する。

医療費もかかる。

再燃したら入院しないといけなかったり。

専門医も少ないから大学病院じゃないと診てもらえない。


いいこと?

百害あって一利なしですよ。


同情するなら金をくれか。

その通りだと思いますよ。

お金がなければ生きていけませんからね。

薬を買うにもお金が必要ですから。



悲しいという感情はなくなっていきます。

きっと難病にならないと分からないのだと思う。

事実は小説よりも奇なり。

現実はドラマほど綺麗ではありません。

どんなに努力をしても報われないこともある。

自分の限界を思い知るんだ。



目を瞑っていても涙って出てくるんだなぁ。

この涙で救えるものはあるのかな。

15歳の時に難病になって、11/5に24歳になるんですが、もう9年目になるんですよね。

もう9年なのか、まだ9年なのか。

今後の人生を考えるとなんとも言えないのが正直な気持ちです。

だって、私が40歳の時には病歴25年になるわけで。

80歳の時には65年目になるんですよ。

そう考えるとまだまだ先は長いなって思うんですよね。



先ほども言ったように悲しいと思うことはほぼなくなったんです。

ただ、悔しい思いは一生続くんだろうなって思います。


就職の時に、病気を伝えると「それで働けるのか」と言われたり、

難病があるというだけで雇ってもらえない。

それが現実です。

ドラマでは描かれない難病者のリアルです。


生きていくためにはお金が必要で、

働きたくても働けない人が世の中にはたくさんいて。

それでも必死に生きているんだよね。


夢や希望を持って生きていたいさ。

でも、同じ土俵に立つことさえ難しいというのが現実。


頑張っても無駄なんじゃないか。

そう思ってしまうよね。

私だってそうだよ。

頑張ったところで報われるとは限らない。

辛いよね。

評価されるわけでもない。

褒めてもらえるわけでもない。

孤独だよね。

私も、たまに必死になってる自分が滑稽に思えてくるよ。

そんなに早死にしたいのかって。

そんなに意地になって何を求めているんだろうって。

結局さ。

生きやすくなりたいんだよね。


どんなに頑張ってもさ、病気だけは切り離せなくて。

受け入れたくなくても自分に纏わりついてきて。

ずっと考えてる。

どうしたら生きやすくなるんだろうって。

自分だけじゃない。

世の中には同じように生きづらさを抱えている人がたくさんいて。

きっとこうしている今も泣いているんだろうな。


悔し涙を流しているんだろうな。


綺麗事じゃ済ませられない。

美談にはできないよな。

一度きりの人生なのにね。

本当に悔しいよね。



「可哀想に」

「辛いのは今だけだよ」

「いつかきっといいことがある」


うん。

いつかいいことがあるといいよね。

私はね、高校生の時に病気になったから「若いのに可哀想に」って本当にたくさん言われてきました。

正直それで嫌な思いはしませんでした。

確かに、「お前に何が分かるんだ!」って思う時もあるんですけど、当事者じゃないんだから分からなくて当然だよなって今は思うんですよね。



難病になったことで、違った目線で物事を見るようになれた。



やっぱりさ、病気のことを理解してほしいなって思うじゃないですか。


こんなに辛いんだよ。だから理解して。

って発信していくのももちろん間違いではないけど、

相手の立場になって考えるのも大切なんだろうなって私は思うんです。


人間って、自分が経験したことしか理解するのが難しい生き物だと思うんです。


だから、やっぱり病気を理解するのって難しいことなんだと思う。


でも、理解しようとしてくれる人もいる。


理解してほしいのなら相手のことも理解しよう。


じゃなきゃ平等じゃないもんね。



楠木ともりさんの記事を見て、

私はボッロボロに泣いた。


病気ってさ。どうしようもできないじゃないですか。

「頑張って」って言うのもなんか違うなって思うし。

当事者の私でさえなんて言葉をかけたらいいのか迷ってしまう。



言葉って難しいから。

私の場合は、言葉より先に身体が反応する。


めちゃくちゃ身体が痛くなった。

悔しくて涙が止まらなくなった。


私には何も出来ない。


何もできないけど、

痛みを分かち合いたいなって思います。



そのくらいしか出来ないから。


だからボッロボロに泣いた。

涙で誰かを救えるわけではないけど、

分かち合うことはできるかもしれないから。



どこかで誰かが泣いているかもしれない。

大丈夫。きっと同じように泣いている人がいる。

1人ではないんだよって。