こんにちは……
身体がめちゃくちゃ痛いです。←唐突
拷問を受けているような痛みです……
持病から来ている痛みなので、いつものことなのですが。起き上がれそうにないです。
勉強が全く捗りませんでした。宿題もまだ終えていません。
悔しいです。
こんな自分を情けなく思います。
話が脱線してしまい申し訳ございません。
この度、出版して頂けることになった著書なのですが、
これは、私が高校三年生のときに書いたものです。
内容は自伝のようなもので、私の17年間の人生について書き綴っています。
おおまかに説明をすると、
中学時代の不登校(いじめ)の話や、高校一年生で発症した『高安動脈炎』のことを発症時から振り返り、17歳までのことを当時の自分が書き記しています。
記録によると、この原稿を書き終えたのは2015年5月だったそうです。
まだ、高校三年生になって二ヶ月ほどなので、内容もその頃のことまでしか書いていません。
この原稿を書き終えた後に、私は両目の手術をしました。
私にはステロイドの副作用で緑内障と白内障があります。
どちらも高校三年生のときに両目ともオペ済みです。
現在も定期的に通院しています。
現在の病状につきましては、また別の記事に書こうと思います。
そして、高校三年生の冬(12月)に、とある闘病記(体験記)のコンクールの高校生の部で優秀賞を頂き、新聞に載ったこともあります。
その体験記も持病の高安動脈炎について書きました。
20歳のときには、とあるテレビ番組に出演させて頂いたこともあります。
それらにつきましては、今回出版する著書には一切書かれておりません。
あくまでも、今回出版予定の著書は高校三年生の私が自分の生きた証を残すために書いた卒業制作と認識いただけたらなと思います。
『卒業制作』と表現した理由は、実際に私の著書を読んでいただけたら納得して頂けると思いますが、
当時の私は高校を卒業するにあたり、何か高校生の自分が残せるものはないだろうかと考え、これを書こうと決意したようです。
私は高校一年生の夏に高安動脈炎を発症し、入院しました。
退院後も高校へは午前中、もしくは午後のみ出て、帰宅するという日々を送り、
体調が悪い日が多く、ほとんど保健室で過ごし、体育も全て見学していました。
高校二年生の時に病気が再燃し、入院してからは、退院後もずっと体調が悪く、高校へ通えなくなって行きました。
しばらくは歩くリハビリや、高校へも学習室に通い、教室に入ることはありませんでした。
高校三年生になってからは、一度も教室に入ることなく、卒業しました。
卒業時は、クラスメートの顔も名前も知りませんでしたが、高校一年生の時に友達になった数人とは今でも付き合いがあり、私にとってかけがえのない存在となっています。
私は一般的に言う普通の高校生活というものを送れず、三年間のほとんどを闘病で過ごしました。
それは発症してから六年経った今でも変わりませんが、私は15歳の頃からこの病気とどう付き合い、生きていこうかをずっと考えていたように思います。
22歳になった今の私には書けない、17歳の私だからこそ書けたものであり、内容も、世間知らずで、幼さを感じますが、それが当時の私の未熟さや心の葛藤をありのままにあらわしているのではないかなと思い、あえてそのままの形で本にさせていただきました。
そのほうが、当時の自分のためにもなるのかなと思っております。
当時の私の状況から考えると書ききれたことは奇跡のようなことで、当時の自分の生きることへの執着心を感じました。
今の私には書くことが出来ないでしょう。
そして、これが本となることをずっと目標にしていました。
そうすることでしか、過去の自分を救ってあげられないと思ったのです。
ずっと、また高校に通えるようになることが夢でした。
でも、その願いは叶いませんでした。
その悔しさや、やり場のない悲しみを、この本に書き残したかったのかもしれません。
自分で読み返すと、涙が止まらなくなりました。
それは恐怖でもあるのです。
私にとってこの著書はトラウマそのものでした。
未だに思い出すと動けなくなるくらい恐ろしく思うのです。
同時に、今こうして生きていることを奇跡のように思います。
現在の私は、あれからまた色んな経験をしました。
裏切り、別れ、出会い……
日々学ばせて頂いております。
まだまだ未熟者ではありますが、
どうすれば生きやすくなれるのか。
死なずに生きる方法を探して日々生きております。
諦めるのはいつでも出来る。
なら、まだその時ではない。
乗り越えたいものがある。
乗り越えた先に何があるのかを見てみたい。
綺麗に生きなくてもいい。
嫌われたっていい。
でも、自分を見捨てたりはしない。
詳しいことに関してはまた後日記事にさせて頂きます。