こんにちは! Hiromiです
いつもご覧頂きありがとうございます
そして 素敵な一日に感謝します
インドでは古来から、人間の体には7つの層が存在するという考えがあり、以前にも少し触れたかと思います。
中でもこの肉体というのは一番下にある層で、普段私たちは肉体と自分を同一視して生きています

簡単に説明すると、、、
肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体までは「個」としての感覚を持っていますが、コーザル体(スピリチュアル体)以上の体からは「全体意識」と呼ばれます。
そしてこの5番目の層は、今の時代を生きるために、私たち一人一人が求められていることであり、認識していくことはとても必要なことだと感じます。
そのためには4番目のメンタル体を経験・理解する必要があります。
(これらを認識しないと次の層の認識ができません)
この方法として適しているのが、瞑想と言われます。
自分の中を深く深く覗き込んでいくと、、、まず最初に行き着くのは感情です。
すぐ思いつくものであれば、「好き・嫌い」「愛・憎しみ」など。。。
エーテル体の特質です。
大切なことは、その体の状態に対して評価しないこと。
判断しないで、ありのままに受け入れることです

愛が本質である私たちですが、エーテル体の中には混沌とした怒りや恐れ、憎しみなどが抑圧されたまま渦巻いています。
それはストレスとなり、悪化すると鬱状態になる可能性もあります。
肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体同士は、磁石のように両極、対立しつつも統一しようと回復に努める性質があるため、愛は憎しみに、好きは嫌いに変化するのです。
ですから、そのような感情の変化は自然な状態なのです。
抵抗せずに感情を受け入れることは、身体を健康にし、身体に素直になることで、次の層へ行き着くことができます

その次にあたるアストラル体。
願望と欲望が渦巻くところです

私たちはいつも「何かになりたい」という欲求を持っています。
「あれが欲しいな」
「これが欲しいな」
「もっとこうなりたい」
「今のままではダメだ、、、」
欲求と同時に否定している自分もいます。
人間というのはとても複雑ですね

きっと100%純粋な気持ちで受け入れることができたのなら、この欲望欲求は大抵のことは達成できるのだと思います。
でも私たちは、社会の評価や、他者の目を気にしながら生きています。
叶えたい願望と心のブレーキとの葛藤が、不自然に歪みを生んでしまうのです。
自分の内側と向き合うことで“あるがままを見つめ”、判断したり評価を気にせず、そのままを受け入れてあげることが大切です

そして4番目の層、メンタル体。
過去と現在の記憶・経験の想念帯のような世界で、様々な思考が行き来しています。
思考には一貫性がありません。
矛盾と分裂を繰り返しています。
その一つ一つは「この考えが正しい」というような主張をするので、自分自身がよく分からなくなります。
心の奥底では、いつも相反する考えが行き交っているのを、誰もが常に経験しているはずです。
座禅や瞑想に入る前には、この思考と向き合わなければなりません。
この混乱した思考を静め、やがては無思考の状態を目指します。ヨガはその手法の一つです。
ただこれはとても大変
時間がかかります。。。

なぜなら、私たちにはまだまだ未解決な感情(エーテル体)と、無数の欲望欲求(アストラル体)が手付かずのままだからです。
ヨガを通して感じることは、深めれば深めるほどに感情も思考も面白いほどに顔を見せてくる。ときには苦しい。
でも、それとともに向き合った分だけ答えはクリアになり、静けさはやってきます。
日々の生活の中では、様々なことが起こります。喜怒哀楽を繰り返しながら、仕事だけではないたくさんの役割を果たしています。
親・兄弟・子供・夫・妻・友人・恋人・知人・他人、、、、出会う相手によって自分の役割を変えて、あっという間に早変わり!あっち行ったりこっち行ったり

そのときに何が起きていようと、そのときあなたが何を感じていようと、そのときどんな自分だろうと、『本当の自分』はそれを見守っている観照者です。
観照者とは主観的ではなく、冷静な心で対象と向かい合い、あるがままの姿を見ることです。
「溶け込むこと、融合すること。
薔薇の花を見ているときには、見られている「対象」と、
見るものとしての「主体」があることなど忘れなさい。
その瞬間の美しさ、その瞬間の祝福に、双方を圧倒させなさい。
そうすれば、薔薇と自分は、もはや別々ではない。
一つのリズム、一つの歌、一つの歓喜となっている」〜osho〜
この観照者の感覚を持ち続けることができたなら、そのとき5番目の層(コーザル体)を垣間見ることができます

『動きの中の禅』、雲の切れ間から大空が見えるようなものです

「いまここ」のなんたるかを知ります。
不思議に感じるかもしれませんが、身の回りの出来事を敏感にキャッチし様々な一致が起こるようになったり、自分自身も全体の一部として存在することを実感します。
少しずつ全体意識へと触れ始めているのですが、ここではまだ「個」が存在すると思います。
そして体験した方の話では、自分と世界との境界線がなくなり、見えているもの、聞こえている音は外からやってくるのではなく、空間に偏在している自分という見えない身体の振動がそれを作り出しているという感覚になるそうです。
あらゆるものに命を感じるのもこの状態のときです。
目の前にある椅子も机も、無機質なものにまで命と魂を見るのです。
ましてや犬や猫などの動物に対して、彼らの中で生きているのは自分自身だと知ります。
これはいつも言葉で表現することが難しく、感覚的理解が必要です。
私は動物を食べることはしないので、度々聞かれることもありますが、「動物愛護の精神ですね」というような言葉も、様々な言葉を使えば使うほど知的な解釈となり、一度でもこの感覚を知ればそんな言葉さえも使わなくなります。
世界のあらゆる問題は、この領域、その感覚を見失ってしまったことにもあると思います。
さあ、今日はかなり長文になってしまい、、、

最後までマニアックな話におつき合い頂き、ご拝読頂きありがとうございます

こうして私自身も向き合い考えることで、忘れていた何かを沸々と蘇るような感覚で心がウズウズしております、、、
いやいや、勉強させていただいております


いつもありがとうございます

【ゆるここぴあ】
LINEスタンプ販売中です
生きとし生けるすべてのものへ、愛と感謝を送ります
HITUKIYOGA-akasha Hiromi's HP
生きていることに感謝、生かされていることへの感謝、人に支えられていることへの感謝。そして神仏へ生かされている喜びを精いっぱい感謝の心で表現することを胸に
~HITUKIYOGA・Hiromi~
音叉と愛の周波数である528Hzという音の中でヨガを通して、60兆個もある細胞さんに働きかけ回復と修復を行っております
そして少しでも一人ひとりの心と身体からの調和を繋ぎ、気づきを経て日本から世界、地球から宇宙へと輪が広がっていくよう微力ながら活動させて頂いております
いつもありがとうございます
Smile&Happy
愛感謝 Hiromi