こんにちは! Hiromiです
いつもご覧頂きありがとうございます
そして 素敵な一日に感謝します
私たちは一人一人個性があって、みんな違う。
でも、根本は同じ源から生かされている。
木の枝のように、一本一本は全部形が違って、太さも違えば色合いも違う

そして、すべてが同じ木の幹から命を戴いている

自分たちが同じ幹から命を戴いていること、地球というひとつの生命体なんだと感じているときは、他の人に対して違う個性をみているので、、その時には安心感がある。
でも、自分が自分としてあまりにも強く意識してしまうと他の人との『分離感』が生まれるのです。
「比較」「競争心」「敵対心」
あるいは「用心深さ」みたいなものが芽生える。
何か問題が起こるとき
何か問題が起こるとき

「違うもの」と戦おうとして、その違うものから自分を守ろうとします。
自分なりに計画を立て策を考え
いかに安全に自分を守ろうとするかという時に、大概問題が起きやすい。。。
例えば、大事なプレゼンをするときや、講演会、舞台の発表会など、、、プレッシャーや緊張が高まる時に、
「こう思われないだろうか」
「ちゃんとしなくちゃ」
「よく思われたい」
私たちのマインドは働き、それ以上によく見せようとしたり、自分で見えない壁を作り自分を守ろうとします。
私も何度となく経験しております

また一つ考え方を変えてみて、、、

海が全体だとしたら?、、、
海が宇宙だとしたら?、、、
波の大きさも、波の寿命も人によって違います。
でも大きな違いはありません。
結果志向になることで、人は心配を生みます。
そして、波はいずれなくなります。
私たちもいずれなくなります。
でも私たちは消えていないんです。
何故なら海そのものだから

ヨガも様々な流派があって、それこそ何百通りでは効かないくらいアーサナは存在する。
ヨガという言葉で、何かしらの概念が決まってしまうのであれば、もはやそこに意識を留めておく必要もないと思う。
これもヨガという全体であり、宇宙だから

そして、自分が波という現象でなくなった時に、大切なことを思い出すといいます。
自分が波という現象に、形に固執していたけれど、波という形がなくなった瞬間(それは死ぬ時)すでに自分が海全体であったと思い出すと。。。
自分がしがみ付いていたものは、全体の一つに過ぎなかったのだと。
『枝』は『大木』をコントロールできません。
自分が波という現象に、形に固執していたけれど、波という形がなくなった瞬間(それは死ぬ時)すでに自分が海全体であったと思い出すと。。。
自分がしがみ付いていたものは、全体の一つに過ぎなかったのだと。
『枝』は『大木』をコントロールできません。
『波』は『海』をコントロールできません。
雲だって空をどうにかしよう!なんてことできないのです。
結果志向になることで、人は心配を生みます。
未来はいつだって不確定で、不安がつきものです。
何が言いたいかというと、、、
未来に向かって生きるのではなく、今まさにここになりきる

ということ。
『なりきる』っていうこの状態のことを三昧と言います。
サマディー〈Samadhi〉サンスクリット語です。
サム〈Sam〉= 一体性のこと
アディ〈adhi〉= 到達すること
「今日の為に生きること」
愛と感謝を込めて、、、

最後までご拝読頂きありがとうございます
生きとし生けるすべてのものへ、愛と感謝を送ります
HITUKIYOGA-akasha Hiromi's HP
生きていることに感謝、生かされていることへの感謝、人に支えられていることへの感謝。そして神仏へ生かされている喜びを精いっぱい感謝の心で表現することを胸に
~HITUKIYOGA・Hiromi~
音叉と愛の周波数である528Hzという音の中でヨガを通して、60兆個もある細胞さんに働きかけ回復と修復を行っております
そして少しでも一人ひとりの心と身体からの調和を繋ぎ、気づきを経て日本から世界、地球から宇宙へと輪が広がっていくよう微力ながら活動させて頂いております
いつもありがとうございます
Smile&Happy
愛感謝 Hiromi