スタイリングカラーアドバイザー
JPFCA認定講師
大森藍香です
カラーリストになる10年くらい前の
私は…
地元 山口県で保育士をしておりました。
もうすぐ成人なんですよね…
途中の成長過程を知りませんが、
大きな子どもが自分にいる気分です。
社会人になり、
この保育士の経験で少しずつ
対人関係のコンプレックスは無くなっていきました。
でも、笑えない、上手いこと言えないので
いーーーっつも先輩に怒られてましたけど(笑)
ピアノを弾くのは苦手で
やりたくないことワースト1でした(^^;;
性格的にもダメだし、
怒られてばっかりだけど
子どもは大大大好きで続いてましたね。
昔から絵を描く、工作する事が好きだったので
そちらの造形活動を指導する事には
休日に勉強に行ったりと積極的でした。
子どもはいきなり絵を描こうね、
何か作ろうね。
じゃ気持ちが乗らないので、
今からすることの導入になる
絵本を読む、歌を歌うという
きっかけのところからが
造形活動の指導になります。
(指導書も書いてました)
そんな造形活動を通して
「やっぱり色に関わることをしているのが
楽しいなー」と感じていました。
そんな時に、近所のエステサロンで
知った
色の検定、色彩検定の存在
色についての勉強があるなんて
知らなかったので
もちろんすぐさま検定対策講座を受けました(^^)
3級講座は同じ山口だけど車で1時間かけて、
2級講座は広島まで鈍行の電車か新幹線で(笑)
しかも3級と2級の対策講座代が合わせて
30万だったんですよ。
今ならよーーーく分かる。
2級と3級ならなんとか独学で出来ると(笑)
さらに、得意の人見知りを発揮して
講座の半分も通わなかったですけどね…
色のこと習いたい!!
↓
思い切ってお金払う
↓
払った時点で気持ちが満足してしまい、
勉強への気持ちが続かなかったんです(^^;;
あと、広島は都会だから
毎回何を着ていくか迷って
行くのがイヤになるという
ダメダメな理由で。
そんななのになぜか
その年2級まで受かりました(^^;;
ちなみに、当時の2級には今の1級の範囲が
入っていたのでめちゃくちゃ難しかったです💦
ですが、その資格をどうするか?
までは何も考えていなかったので
それで終わりました。
パーソナルカラーは講座の中で
ちょっと触れて
「そういう仕事もあるんだな」と
知りましたが
仕事としての興味はありませんでした。
こちらもどうぞ(^^)
「当時はパーソナルカラーに興味がなかった」
とずーっと思い続けて10年くらい経った時に
保育士時代の先輩に再会した事があったんですが、
「当時、保育士辞めたら
パーソナルカラーリストになるって
言ってたよね〜!」
と言われました。
???
そんな事言ってた覚えがさっぱり無いので
辞めたいがために言ってた口実と思います(^^;;
実際、保育士を辞めて全く色に関わるような
事はしていないので。
ですが、その時気軽に言ったレアな職業に
今 就いているのが不思議なような、
こうなる運命だったのかなぁと思います。