私には2人の娘が居る。30歳と15歳の娘だ。
30歳の娘は独立して1人暮らしている。
15歳の娘は学習障害(LD)で去年特別支援高校に入学した。
1ヶ月ほど前、娘が学校で先生にしかられ、死にたいといったので、「そんなことで死んでたら命がいくつあってもたりませんよ!」と答えた。
3日後、久しぶりに手作り茶碗蒸しを作った。
娘は「おいしい~!幸せ~生きててよかった」そういった。私はショックを受けた。
おいしいものを食べることって、そんなに幸福感をあじわえるんだと。
そして中学のころを思い出してしまった。
私の中学では、部活は絶対はいらなければならなかった。
私はバレーボル部に入部した。
両親はスポーツは遊びだと思っていた。
家の手伝いもしないで、部活をすることを許してもらえなかった。
部活が終わり家に帰ると、かぎがかかっていた。
2~3日野宿した。朝、かぎが開くと家に入れたが、「不良娘!朝帰りか!」と言われた。朝ごはんも食べさせてもらえなかった。
私には妹が2人いた。妹達は両親からかわいがられていた。
妹2人に「お風呂にはいったら、お風呂場の窓のカギを開けておいて」そうたのんだ。
親にみつかってしかられるといやがったが、やってくれた。
それから、毎日、親が寝るとお風呂場の窓から家にはいった。
こっそり炊飯器に残ったごはんを、しゃもじで食べた。お風呂に入って寝る。
そんな日々だった。
数日後、私が炊飯器のごはんを食べていると、母親がおきてきた。
「頭の黒いネズミだ!」髪を引っ張り、なぐられた。
次の日、 お風呂場から家に入ると、炊飯器の中にご飯はなかった。
ゴミ箱に捨ててあった。
ほぼ3年間、学校の給食だけが、ゆいいつの食事だった。
土日は、サイフから盗んだお金でパンを買った。罪悪感はあったが、おなかがすいてしかたなかった。
そして今、食事をするたびに、涙が出てくる。
胸がつまって、食べられない。
50歳になった今でも昔の記憶が私を苦しめる。
解離も出始めた。病院で子供が冬休みの間、解離がでずらくなる薬をもらった。
私の中の憎悪がうんだ、凶暴な人格をださないために。
私の別の人格が、娘に危害をくわえないように。
もし、私が大事な娘になにかしてしまったら、たとえ記憶がなかったとしても・・・・。
解離性同一性障害とは、毎日がこんな不安の中の生活なのだ。
殺さなければ、虐待は許されるのか?