私が子供のころに暴力を受けていたのは、主に母親からだった。

いつのころからか、殴られても殴られても、痛みを感じなくなった。

ただ時間が過ぎるのをまっていた。

その痛みを受けていたのが私が作り上げた別の人格だった。

母親からの暴力の痛みや恐怖は解離という方法で私は自然に回避していた。

そうしなければ、心が壊れてしまうからだろう。


解離性同一性障害とは、私がみずからつくった生きるためのたった一つの方法が障害として残ってしまったのだ。


でも、18才で家をでて、結婚をし、長女を出産して、仕事をして、34歳までは普通の生活ができたのだ。


次女を出産したときの悲劇までは・・・。