事件の夕方、TVをつけるとこのニュースがやっていた。

だrもがショックを受けただろう。

私もショックだった。でも、死傷者の数がわからず、何人が巻き添えになったんだろうか?と気になったがニュースはおわった。


その後パソコン部屋でワープロを打っていたが、手が震えうまく打てなかった。それでもゆっくり作業を続けていると、娘が怒ってドアを開けた。「ママ、水道出しっぱなしにしないで!」と「どこの?」ろきくと洗面台の水道が出しっぱなしだったらしい。家には、私と娘だけ。私は、ワープロを打っていて、立ったおぼえもない。部屋からでたおぼえも、洗面台の水をだした覚えもない。そんな記憶はないのだ。


解離だ。私の中の別の人格が水道を出したのだ。これが、解離の症状。私には、まったく記憶がない。


次の日の朝、どうしても死傷者が気になり、ニュースをみた。まきぞえで亡くなった人が1人。20人以上のけが人。ひどい・・・。


私は、小学校6年のときのことを思い出した。母親にひどく殴られ、がまんができなくなった私は、はだしで家を飛び出した。


生きていくのがつらくて、もう死のうと思った。夕方の5階くらいのビルの屋上にあがり、手すりを乗り越え、飛び降りようとしたとき、下に、2,3人の人がみえた。巻き込むと思った。そして、飛び降りるのをやめた。死ねなかったことに涙があふれてきた。


私の病気は、たとえ親が死んでも治ることはないのだと思った。